「いのちの向かっているままに」
何故か土曜日、日曜日と入っていた仕事が、一見お客様の都合でキャンセルになってしまい考えました。やりたいことはやるという意識でやっているかを先生のお話しから考えます。「意識」ということが、どこか悪いことと捉えていました。改めて意識するから行動になることを知ります。満月の昨日は、どうしても琵琶湖の畔で月の出を見たかったので、先生のお話しのライブ配信の時間を気にしながらも、行きました。月の出の時刻に琵琶湖の向こうから薄っすら赤味を帯びた大きな月が顔を出し始めるととても感動です。湖は波一つ無く鏡の様です。無音です。以前の様な悲しい感じはまるで無く、未知なる世界が広がる空間に、まるで世界が変わったことを感じ、過去は無いことを確認しました。できれば皆既月食も見たいと思って寝たのですが、自然に深夜2時半頃に目が覚め、皆既月食も見れました。こういうことは全部意識でやっているのだと認識すると、「知」のレベルにいくまでやり続けること、「知」がいくつも生まれると「確信」に到達することを伺い、苦しいところから次のことが弁証法的に生まれることをお聞きでき、いつも先生は私たちがどうすれば存在表し、幸せに生きていけるかを伝えてくださってることをわかり、何とか実現しようと力が湧いてきます。東京高麗屋さんの高句麗伝説に向かう「今日の語りと語り合い」のお知らせを受け取った時に、「行きたい!」という気持ちがありながら、4.5.6日と仕事が入っていて無理と諦めました。何とかしようとすれば6日は行けたとわかります。いのちの要求を蓋したから、6.7日の仕事がキャンセルになってしまい6日は行けたのに〜。といのちの要求を優先しなかったことを悔やみました。高麗さんのアンフィニからのビデオ講演会をお聞きして、「いのちの向かっているまま」生きないと運が落ちて行くことが、身に起きわかります。「いのちが向かう」ことを意識で邪魔しては、そのうちに身体を壊すこともわかります。いだき講座を受講して、先生の講座、コンサートに参加しているのに、お金によって生命の要求を抑制しているという状態は、明らかに自分が上手くいくことを意識で邪魔していることを認めます。本来の意識は絶対知に向かうこととお聞きして、深く深く考えること、考える場が必要と感じます。講座、コンサート、そして東京高麗屋さんの場に身を置くことがとても大事だと感じます。コンサートに参加するだけで絶対知を経験しているのだから、ここで自分で考え、問題も自分で解決していけるのだと、先生のお話しをお聞きして、先生がいつも伝えてくださっているのに理解力がないと実現するように考えていけず、とてももったいないと感じます。やりたいこと、行きたい場所には行きたい時にすぐに行けるように考えます。ありがとうございます。