痛みの哲学が開く狭き門
8月末の京都の3つの講座(ジェンダー、応用、存在論)から「人間とは何か」の本質に深く入りはじめました。自己の存在がどのように永遠の生命になっていくのかをいだきしん先生の「存在」から直に学び、やっと人生が「いのち」から「生命」へと繋がる貴重なプロセスだということが観えてきました。健康で長生きすることの重要性も必然的に繋がります。だから「いだき」であり、この世で生きる存在の姿は「いだきアントレプレナー」なのだと腑に落ちます。
いだきしん先生が復活された意味や背景も徐々に公開していただいてるので昨年10月の「闇からの栄光」というコンサートメッセージの意味も深まります。京都の3つの講座で気づいた時に振り返ると、既に京都の前に三鷹市公会堂で「意識の入口」に入らせていただいていたのです。京都で感じた内面への深い浸透はこの時にもうはじまっていたのですね。そして、9月に入った最初の狛江の応用コースで遂に霊魂というある意味でこの世のタブーで、触れにくい、しかし現実にある世界の入口にも立ちました。タブーは「見ざる・言わざる・聞かざる」では闇にのみ込まれてしまうとも理解します。
世阿弥の能の世界が怨霊を花に昇華することを知り、もしかしたら現代の源氏物語が身近に起こっているのではないか?、素戔嗚と卑弥呼が出雲、日向で実現した古代日本の夜明けに起こっていたことは現代の大きな問題となっている「ジェンダー」を打ち破る「情熱・ファンタジー」だったのかと感じ、ジェンダーの時間に現代の国創りの方向性としての「小さな共同体」の可能性をお聞きしました。男女の時間が全く違うのであり得ないとのお答えをいただき、やはり答えは一人一人が “いだきアントレプレナー” として生きることにあると理解します。いだきしん先生が「人間とは何か」の答えを出され、宇宙の生まれる3段階前の世界を地球上に実現し、5,000年の闇さえも愛に融合されるなら私たちひとり一人がいだき講座を受けることで知らぬ間に3万から30万にも及ぶ存在が影響を受け、コンサートを満席にすることでさらに広く貢献できることがわかり、活動の質は大きく変わります。
先生の昨年10月23日を振り返ると、3ケ月後の1月19日のアントレプレヌールサロン、21日の復活コンサートの経験を経てヘーゲルの「痛みの哲学」という新たな人生哲学の登場でわたしの古い頭は巨大な衝撃を受け、一変しました。そして先生の講座で死者の行方のお話を受けて、実際の死者数を計算し、ホモサピエンスの登場からと仮定して推定で1,180億人にも達するとわかると永遠の生命に至る道のりはまだまだ遠いものの、確実に先生がされてこられたことで実現に向かっていると実感し、「どうせ誰にもわからないのだから黙ってはたらけ」との叱咤激励は有無を言わさない唯一の未来創造型人間の生き方とわかります。「意識の入口」というこれまでの人類史では明確に解明されてこなかった内面への真の入口が顕在意識から開かれるというこの時代に生きる “いのち”としていだきしん先生にお会いでき、先生のからだを使ってここまで生きて来れた自己の存在を表すとは?。
内面の世界につながるこの「狭き門」を広く開放するために「いだきアントレプレナー」として黙々とはたらくことと肝に命じます。
いつも尊い経験と自分で考えて生きる数多のヒントをありがとうございます。