灼熱の夏、溢れる天地の恵み
元来わたし自身は天地の恵みを受けとる最高の季節が真夏です。子どもの頃から一日中飛び回っていた夏、天から降り注ぐ太陽エネルギーを身体いっぱいに吸収することが心地よく大地から湧き上がるエネルギーと身体内で撹拌されていくような体感があって、茹だるような暑さは1年分のエネルギーを身体に充電するように体内の隅々まで太陽の熱が浸透していき、夏が嫌だったり苦しんだことはありません。
いだきしん先生、高麗さんと同行させていただいたアフリカ。シナイ山、エジプト、エチオピアなどの大地は日本以上に天と大地を繋ぐ自己の身体、内面の豊かさを感じていました。特にシナイ山では孫悟空のように宙を飛び回るような実体験があります。今こそ夏の記憶が正確に蘇ります。わたしにとっての「紅茶に浸したマドレーヌ」は灼熱の夏・・・!? 少年時代の夏の炎天下 、 アフリカの大地が蘇ります。最近のコンサートメッセージで表現された「天地の恵み」は外側、内面に同時に繋がるように感じます。この夏は特に自然の恵みのど真ん中にある自己の存在ともいうべき体感です。夏が益々好きになる今です。
いだきしん先生が「学生時代とは違う出会い」をされたヘーゲルを紹介してくださったお話こそが論理学というとても難しそうな哲学をわかりやすくしてくださいます。かつてコンサートメッセージで「生来持って生まれた知恵」と表現された「直観」に結びつくものとして私は感じとります。特にいだきしん先生が生まれられてから常に病に冒され、あらゆる病気を経験し、死の淵を何度も彷徨われた子どもの頃のお話から今に至るまで・・・、どれだけ痛かったり苦しかったりの経験をされたのでしょう?と考えます。安易に想像することは不遜と考えた時代が長くありましたが、今日でもコンサート、講座前後の先生の状態を高麗さんからお聞きすると痛みや苦しみが絶えず続く「地球のいのち」そのものの存在と感じる今です。伝えてくださる高麗さんご自身も今も毎日のように被り等の様々なものを受けられ身体を痛められています。
「痛みの哲学」はいだきの神髄を感じ、痛みから考えはじめ、行為・行動、解決していくプロセスを次々と生きてこられた先生の人生の実践の源を理解する私たちの「みちしるべ」と捉えます。そして昨年の10月23日を迎えました。復活された後に「いだきで生きてきて良かった」と先生ご自身が話されたことが私の魂に強烈に響きました。私には「いだきで生きたからこそ復活があった」と先生の声から聞こえてきましたがイエス様の十字架、ヘーゲルの論理学、先生の誕生、「闇からの栄光」コンサート、先生の復活、イエス様の復活?、先生の生まれ変わり、という人類史の流れを仮に絶対精神の展開のプロセスと捉えれば「至高すぎる」という表現は比較など全く意味のない「絶対精神」の展開の歴史であり、その道標は愛とは直観的に理解します。
子どもの頃からあまり痛みを知らぬままに今日まで生きてきた私ですが、この数ヶ月は痛みを抱えることを繰り返しています。先生がどんな状況でも先を創る方向で生きていく知恵を伝授していただくので、少なくとも基本は自分でやることが身についています。もちろんその前提は「ど真ん中 要に在れば」です。「ど真ん中 要に在れば全て国創り」、高麗さんに仙台のコグリョカフェにて表現いただいた詩書は貴重なみちしるべです。西洋医学、漢方や見えない世界の現象など一旦あるものは受け入れ、自己のいのちが自然に反していないと感じるままに羅針盤を合わせていくと光の方向が観えてきます。痛みがあれば原因を考え、行為・行動する。それだけでは駄目で「先生と共にある」中で解決に向かう自己の意志も養われています。頭では繰り返し繰り返しインプットしてきた弁証法。正・反・合(止揚)という難しい弁証法が頭も含めた自らの全身で起こりえるという経験をさせていただいていると感じます。これまでがあまりにも鈍感だったいのちの復活へ向けて何とかしようと考える大きなきっかけになっています。ヘーゲル大論理学の応用が、本当にわかりたい先生の存在と人類史を紐解く「いのちから生まれる哲学」に成っていく恵みに溢れたこの夏。
炎天下の芝生に寝転んでの読書・・・青年期から好きでよくやってましたが、あながち間違いではなかったことが書いていてわかりました。いつも尊い経験の場と自分自身で考え、実践する数多のヒントをありがとうございます。