京都から東北へ、そして新たなる旅へ
6月23日、いだきしん先生が復活された誕生日コンサートに向かう日々の経験は、とても大切な日々でした。先生から何度かお聞きしました入院時のお話し、担当医と相談され自ら退院日を決められ実行されたことは、単に現在の医療体制から脱出されたことだけでないことを、京都での応用コース、23日のコンサート、さらに盛岡応用コース、27日盛岡のコンサートの経験からわかってきました。調布での「ジェンダーを巡って」講座、やはり調布での「存在論」からも、京都の応用コースで「何故、イエス・キリストが十字架にかけられたかの問いに、先生と奥様の晴美様との間に、何か神の様な状態、男と女のある何かがわかってから、先生の体にどんどん愛をわからない状態のエネルギーが集まってきたことをお聞きしたことと、イエス・キリストのような透明で何も無い方に会うと自分の罪深さが露呈して化けの皮が剥がされる恐怖からイエスを十字架にかけたことが重なり、生命に受け継いだ罪深い状態を先生の生命、高麗恵子様の生命を使って「無」にして戴きました生命を生かし生きれる様にしていただいているのを実感する、23日京都コンサート、27日盛岡コンサートであります。有から無になることをヘーゲルの「大論理学」を中心にお話し戴き、日々の生活、活動を通して、コンサートや講座の経験があるので、有から無へとアウフヘーベンしていける尊い機会を得られることがありがたいです。治癒神としてイエスをとらえた山形孝夫先生の「レバノンの白い山」を思い出し、医神アスクレピオスのことも書かれていたことも思い出します。バアル神も豊穣の神として古代人が信仰していたことも何かで知った時に、中東の豊かな文明文化が隠され壊され、イエスが十字架にかけられた時から一巡したとお聞きした時、全てが明らかになり変わると感じました。盛岡コンサートでのアンコールで、みんなの手拍子と先生の演奏されるパイプオルガンの奏でる調べは、新たなる人類の歴史のはじまりを祝福する音楽でした。何故か、みんなで五女山城への道を登っていく光景が重なり涙涙の大感動であります。先生の存在、高麗恵子様の存在と出会ってこそ、自らの存在現れ生きる本日はスタートとしてアントレプレヌールサロンに参加させて戴きますこと感謝申し上げます。