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「一巡した」ことから問われること


最終的にはプロテスタンティズムの倫理が資本主義社会の興隆に繋がっていったことなども含めて想像するとイエス様の事件は簡単には判断できないと京都の応用コース以降考えてきました。また今回の先生の復帰、復活については既存の医療システムを根幹とする日本のごく普通の体制の中に身を置かれ、いのちの復活を実現するという尊い行為を実現され、退院という世の中的な現実にとどまらず完全復帰、完全復活、もっと言えば、以前よりも増してさらに力をつけられて強くなっていかれるという事実をお会いする度に知ります。

2000年前に西洋の「ある一つのローカル」で起こった事件は2000年経ち世界中にその存在と事件のあらましは伝わり、日出ずる処の地の丑寅の一つのローカルで出会われた方から新しい人類史がはじまり、まだ西洋文明から直接影響を受けなかったその「日の本」の古代に於けるはじまりは素戔嗚命と卑弥呼、さらに大和は素戔嗚命の息子たちが起こしたことは歴史上では隠されてきました。日本には昔から様々な地から人々がやってきたことは歴史に学びますが、7世紀頃の斉明天皇、天智天皇、天武天皇、持統天皇の時代にも多くの事実が隠され混沌としているものを感じます。平安時代に日本はペルシャと交流があったと先生が仰ったあたりから、ペルセポリスのアフラ=マズダが日本と縁深く、艮の金神の話になり、大本が出てきて・・・、ついつい手を挙げてしまいました。

イエス様や中東問題の元にある神のことは随分前から疑問に感じ、何度もお尋ねしてきましたが、大本が動いた元が艮の金神だったのがもし本当ならば、あの激しさはアフラ=マズダよりもヤハウェに似てるように感じていました。話の流れは素戔嗚と息子たちになっていき、お聞きできませんでしたが金神でもう一つお聞きしたかったのは高橋和巳の「邪宗門」が学生運動盛んな時代にベストセラーの一つになっていたことは当時の団塊の世代にとってはどのように捉えられていたのか?そしてその後どのように自分の人生で考えてこられてきたのか?今、団塊の世代の皆さんはどう生きられているのか?という疑問が以前からありました。当時の先輩たちが何かにつけ「総括」ということばを誰彼に投げかけていたのがとても違和感がありました。

先生が仰った「一巡した」プロセスの一つの日本の大転換時代の中心で躍動された人たちの存在が隠れてしまったことも日本の大きな問題でもあり、それは実は今、自分を含めて全ての人に問われる時代になったことで先生の「一巡した」という意味を自らに問います。先生はあの日本が大揺れに揺れ動いた時代からずっと今まで問い続け、動き続けられています。有無を言わさない動きの時・・・。
いつも尊い経験と考える場をありがとうございます。

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