共に生きている
三鷹 風のホールでのコンサートで、先生の演奏は全ての音がど真ん中であり、魂を鷲掴みにされる迫力に満ち、胸の奥底から揺さぶられて、涙がこみ上げました。
ビデオ講演会でお聞きしました高麗さんのお話で、お姫様は湖畔に一人立っているけれど、そのお姫様を愛し支える人がいて、周囲にもお姫様を支えている沢山の人達がいるから、お姫様は一人で湖畔に立つことが出来る・・・という内容のお話が、コンサートの最中に心に浮かびあがりました。
人は一人で生きているのではない、一人で居るようにみえても沢山の人と繋がり、支え合って生きていることが、意識的に分かろうと力むことなく、心身をとおして自ずと分かっていきました。自ずと分かっていくとき、心身はやさしいです。
コンサートを経て、心身が柔らかく、広くなり、変化しているのを感じています。このWebサロンで、皆様のコンサート後の書き込みを読ませて頂くと、大きな一つの生命として自分自身がいろいろな方向から語っているように感じられて、欠けているところが埋まっていって、大きなまるい命に戻っていくような、不思議な安堵感に包まれました。
先生が焙煎された珈琲の美味しさ、温かみと安らぎが静かに深まっていく、他と比べようの無いその美味しさは、コンサートメッセージにありました「関係」のなかにある珈琲だからこそなのだと、今朝気づきました。
第二部のメッセージにありました「人生は美しい」という言葉を、そのまま素直に受け入れられる、そのような心身にして頂いていることを、そのまま感謝で戴きます。
20代の頃を振り返ると、とてもそのような言葉を受け入れられずに背を向けて生きていました。しかしその頃であっても、今思い出すのは不思議と、当時の苦しみや孤独ではなく、折々の季節の記憶や匂いなのです。それは豊かであり、美しく、時間は過ぎてしまっても、私のなかに「今」として生き生きと存在していることを実感するのです。
・・・「人生はあまりにも短い。」メッセージの中にありました言葉が今、実感を持って感じられます。そして「故に、今日一日しっかり生きて美しい人生を堪能しようという気持ちになります。」というお言葉に、心から頷くのです。
コンサートの最後には、不意に両親の存在が心に浮かびました。二人に命を繋いで頂いて今、自分は生きています。「いだき」のことは全く理解してくれない両親ですが、命の奥底では全てを分かっていて、しっかりつながって共に生きていることが感じられて、今頃は郷里の家の窓には明かりが灯っていることが心に浮かび、涙がでました。
来る5月28日のコンサートでは、どこまで次元は上昇し、生きることの経験は深まっていくのでしょうか。
留まること無く、未知の世界へ、未来へ・・と向かうときめきが生まれ続けます。