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気づき


1ヶ月ぶりの狛江での応用コース、とても待ち遠しかったです。
最初に演奏してくださったピアノの一音一音は、ピアノの音ではなくて、自然界そのものでした。キラキラと輝いて、ツヤツヤしていて、煌めく水しぶきか、光の球のようで、惹き込まれ、聴き入り、こわばっていた全身が一気にほぐれていきました。
労働と疎外のお話は、いだき講座で初めて疎外についてお聞きした時の深い救われが鮮明に甦りました。出所の分からない自分の不安と苦しみの原因が分かっただけで、視界がはっきりとし、開けて、身体が軽くなった感覚は今でも忘れません。
正体が見えずに、自分を内側から締め上げるように苦しめ侵食していくモノ…それを疎外というのだ、と分かっただけで、その渦中に巻き込まれたり振り回されないで済むことは、私にとってどれだけ大きな救いだったでしょうか。何よりも、先生が若い頃から疎外ということに気づかれて、長年それについて探究されてこられたこと、そのようなお方がこの世に存在しておられることが、どれだけの救いであるか…を、あらためて深く感じ入りました。先生のお話に一心に聞き入って入ると、心身がホカホカと温かくなり、光の球で満ちていき、ただこの空間にみんなと共に居て、先生のお話をお聞きしているそのことが、深い幸せと喜びと心の平安であることが、ただただ感謝しかありませんでした。

今、右耳の調子が悪くて、静かな場所に居ると脈に合わせて音がします。それでも仕事をしている時や、いろいろな音が普通にある街中などに居ると、それらの音に打ち消されるようにして、耳の脈音が紛れるのです。
そのことでハッと気づいたことがありました。私は聴覚過敏なところがあり、街中に溢れる種々雑多な音、人が会話する声などにいつもイライラして、強いストレスを感じていました。しかし、そういう排除したいと思っていた沢山の音が、右耳の脈音を消してくれていたのです。ノイズにしか思えなかった街中の雑多な音が自分を助けてくれていたことが分かった時、胸の中に涙滲みました。どんなにうるさくても、耳が聴こえるということはどんなに有難いことでしょう。うるさいなと思っても、もし全ての音が自分には全く聴こえなくなったとしたら…。
このことに気づいてから、身の回りに溢れる音に対する自分あり方が変わりました。うるさいのはやはりうるさいのですが…、この音は、この話し声は、きっと何かを自分に教えてくれている、伝えてくれている、どこでどう助けられているか分からない…と思うのです。するといろいろな音の中にも自分が居るように感じ始めて、自分の周囲が広がり、世界が広がり、排除していた音も、人も…自分の中にどんどん戻ってくる感覚に、深く安らいだのです。昨日のお話をお聞きして、ああ私は、音で自分を疎外していたのだ、それがなくなって、全部自分の中に帰って来てくれたのだ、と腑に落ちたのです。誰に対して、何に対して、というのではないのですが、今まで申し訳ありませんでした、そして、有り難うございます、という心で居ます。

今、雇われの仕事をしていますが、どのような人も、どんな些細な事も、何かを教えてくれて、伝えてくれている世界で生きると、心のあり方が温かく柔らかくなり、広がります。疎外を突破して行ける大切な時、一日一日を大切に生きます。今月も、愛に満ちる応用コースの経験を、まことに有り難うございます。

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