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神話と微分・積分、生きるヒント


文体というものの難しさを感じるこの頃です。真実を元にした聞き語り、「私はこう聞きました」や「私はこう考えました」との書き方はある意味で「推察物語」とでも言えば良いのでしょうか。直接聞いたとしても伝えることは聞いた本人の主観に間違いないので最初からフィクションと言った方が楽ですが、深い真実があるからこそ、その聞き語りは他者に感動を伝えます。フィクションの元に捉える真実は「テーマ」という表現では「人間とは」になります。ドラマや映画を創るとなると推察物語に誇張や演出が入るので一般的には真実が薄まっていき感動は偽物になります。疎外を生むだけかもしれません。ドキュメンタリーは主観が強くなり制作者の自分語りになりがちです。そこを抜け出る創作、創造は神話かもしれないと感じています。
埼玉県朝霞市の一つの家庭で愛がはじまり、お互いのご両親を大事にし子どもが生まれ家族ができました。周りの世間や社会に住む人々には理解できぬまま、いや誤解や嫉妬をされながらもはじまってしまった愛は着実に広がります。愛がはじまる前のお二人はお互いが愛についてはわからないところからはじめました。それなのになぜ愛に向かい、愛が生まれたのか?との疑問を解くのは直観の力と考えます。コンサートメッセージで直観は生来の知恵と伺いました。本能、本性があり直観があり、知恵がはたらけば自然と良い環境を得るために人間には意志がはたらきます。理解していくプロセス、日々起こる新しい経験に希望は膨らみます。人類が生き残るための生命力は青森から仙台を経て埼玉県ではじまった愛により生まれ、出会えた一人です。
ずっと以前から社会と家庭、家族は違うものということをお聞きしてきました。そのことから資本主義社会の「包摂」から抜け出す場、フィールドが家庭、家族にあるとは感じていました。しかし、家庭、家族が愛のフィールドになるためにはお互いがそれぞれの内面での創造的な生を求め、男と女を超えて個々の生は全く違うことをわかりながらも自由で、離れていても一つにある魂と今、理解します。京都の応用コース、ロームシアター、迎賓館からつい先日の狛江の応用コースまで、ずっと考え続ける日々です。
はじまった愛は死を超越し、一つにあることも生き続けることで伝えていただき、遂には「闇からの栄光」という極限の愛のちからを今、わたしたちは知っています。生き方でしか伝えられないというのは巨大な課題ですが、何か新たな創作、創造が生まれる予感もします。微分と積分のお話を心待ちにしていますが、瞬間瞬間を生きる個々の生を捉えるのが微分と考えればその瞬間瞬間に「失われた時」に一貫してある何か、それを紡ぐものが積分にあると感じます。これは推察物語ではなく人生を数学的に考えた場合の推論です。自分勝手な微分積分の考え方を元に自己の人生を推論、推察すると愛の可能性は無限大です。いつも尊い経験の場、生きるヒントをありがとうございます。

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