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しん 愛


第一部「神髄」

辞書によると「物事の中心・精神とういべきもの。又、その道の奥義。
物事の本質。」等の意味があります。
日本だけ考えても物事の本質に通じる文化はしっかり残っています。
時代、体制を越えて今にあるということは、昨今のさっぱり訳のわからない状況を鑑みると、とても大事なことです。
奥義を極めるには並大抵のことではありませんが
周囲を見渡せば案外身近にふれ垣間見ることがあります。
ふれることによって我々一人一人の内面に一本の筋が通り、
時により本音を刺激して確かな自己を見出せます。


第二部「やっぱり愛」

また愛です。
軽い愛はありません。
愛は深遠です。
愛には奥義はありません。
愛に奥義があるように、これもまたいたる所で散見されます。
只気持ち悪い、あるいは気味が悪いのは私だけのことでしょうか。
それであるが故に「やっぱり愛」ということを何度も、
おそらく生涯表現し続けるでしょう。

今日も言葉によっては表現し尽くせぬ素晴らしいコンサートの経験に心から感謝します。一部の「神髄」では、いだきしん先生の「しん」という言葉の状態を生命で経験しました。何もなくなって、しんがあり、しんがある人間が生きているだけで世界は変わっていくのだとわかった時、先生がこの世に存在してくださっているので、私たちは生きていけるのだということが生命をもってわかり、涙よりありません。今もこのことを生命沁みわかり、涙にじみます。世界を変えていくのは人間がどう生きているかであるということを深くわかりました。何かをする前に人間であることとは仕事においても同様ですが、世界の平和を実現することになればましてや人間とし生きていかねば成る訳がありません。神髄とは物事の本質と辞書に書かれていることをメッセージで教えていただいていますが、すべての元になる状態が「しん」とわかる経験ができ、感動しました。

第2部は恥ずかしながら芯から癒され、眠くなってしまう程、リラックスしました。そして愛を経験しました。愛はこのような状態と詩が生まれましたが、言葉にすると、生命で経験しているようには表現できず、とても限定されたちっぽけな状態となると感じました。愛とは違う状態が違和感とし現れほぐれていくことの連続を経験し、最後は愛に満ちました。人が悲しい時、悲しみを共にし、変えていこうと考え動いていくプロセスを経験しました。何かを排除したり、逃げることなど愛とは程遠いとわかります。普段愛に生きているかを考えました。コンサートで愛を経験しましたので、これからは愛ではない状態はすぐに気づけると感じます。今までもずっとコンサートでは愛を経験していました。今日は具体的に日常生活や仕事の場面で愛とは違う状態をそのままわかる経験となりました。ありがたいです。愛に生きることが人間とわかります。先生はずっと表現し続けてくださり、これからもずっと表現されるとのメッセージのお言葉に頭を垂れ、感謝します。

ウクライナの方と翻訳機を使い会話しました。母国語でお話しされ、とても喜んでくださいました。母国語を話す時の声の響きは英語を話す時とまるで違います。母国語は、生命とひとつなのだと感じました。コンサートではとても安らぎ、春が来たようだと皆様喜んでおられました。国は戦争状態で大変ですが、心がやすらぐひと時があることは助かっていくと感じ、日本にて先生のコンサートを経験出来ることは人生においては幸運なことと考えます。

明日から仙台、盛岡へ参ります。新しい動きを作りたい一心です。出掛けに先生にそのことをお話しさせていただくと3日で作るとお話しくださいました。昨日の応用コースでお話しくださっています。3日で考え、作ることに向かいます。大変素晴らしいコンサートをありがとうございます。

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