吹く風は、愛
京都での出会いは、やはり予想すらできない大きな経験となりました。見えたままと仰る高麗さんのプログラムの決め方に畏れ入る「出会いの一日」です。オフリドの街中は、笑いながら自由に伸び伸びと散策でき、オフリド湖から吹く風は心地よく、幸せだったことを思い出しました。そんな街中にある教会での先生のコンサートが、まるで今のように蘇りました。それは、母でした。私の母というより、母の胎内に抱かれているような安堵感に身を委ね、幸せに満ち溢れた温もりに包まれていました。大いなる母の懐に抱かれながら大宇宙と一つとなり、これ以上の至福感はない素晴らしい時を永遠にと願います。人間は誰もが母の胎内から誕生します。この先生のコンサートを経験すれば、何をもって争わねばならぬのかと自ずと気づくのが人間だと見えました。
続くロシアでの「高句麗伝説」は、躍動感溢れる高句麗のエネルギーを体一杯に受けました。「8人の天女」も久々にお会いでき、とてもやさしい気持ちになります。五女山から吹く風がロシアで吹き、高麗さんの「海を渡って伝えに来ました。」は、胸を揺さ振ります。ウクライナの方がお見えになられなかったことに現実を見ましたが、五女山からの風は吹き続いています。「魂の語り」でも様々な風を受けました。すべては大いなる母の、宇宙の源から吹く風、愛です。
最後になりましたが、高麗さん、本日お声がけいただきまして、ありがとうございます。今朝、示された通り、既にはじまっていました。感謝いたします。