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アリョーシャと共に! 


 やっと『カラマーゾフの兄弟』5巻を再読する。正しくは、三読なのだが、初めて読むような感覚が最後まであり、三兄弟とグルーシェニカとカーチャと二人の女性中心に展開される人間ドラマの壮大さに打ちのめされる感じもしたのだった。19世紀末の混迷するロシア、農奴制の解体と資本主義の台頭で、思想も宗教も、貴族も農民も、国家も治安も、混とんとするばかりの中で、自分を見失うまいと必死に行動する人々の叫びが聞こえてくるようにも思えた。単なる冤罪事件の顛末ではなく、病めるロシアとその救済を願って、希望へつなげる主題のすばらしさ。どんな時でも、人は闘い、強くなり、真実へと向かっていくべきであり、正直さと勇敢さを武器に前進していくべしだし、「愛」のためには、決して妥協することなく、気持ちを伝え合い、大きな包容力で越えていかねばならない。そんな若者のような感慨が、今のわたしの中にある。
 特に、今回はアリョーシャの「聖性」に魅せられた。こんなにも純粋な心と包容力のある若者とは思っていず、むしろ「イワン」の反宗教的な理性に魅かれることが大だったのに。「いつも絶望と隣り合わせ」(Ⅰ―p385)でありながら、「全身全霊を傾けて自分もその真実に関わり、すぐにでも偉業をなしとげ、しかもその偉業の為にはすべてを、自分の命さえ投げ出さねばいられない」(Ⅰ―p65)というところに共感し、再び20代の若者に戻ってしまった。
 今日、滞納していた市県民税や後期高齢者保険料を支払ったら、7万以上もかかった。そして、帰途に買い物に行ったら、すべての商品が値上がりしているに驚いてしまった。そのくせ、給料は上がらないし、年金は減額が続く。街を走る選挙の街宣車に向けて、石を投げたくもなった。ちっとも良い政治が行われず、治安も悪く、戦争は続き、環境汚染はひどくなる一方、おまえらほんとうに世の中を良くする気がるのかと。『カラマーゾフの兄弟』の時代は、資本主義が台頭してきて、金銭主義が横行し、搾取と疎外が大問題になっているとき、アリョーシャのような人物が立ち上がってくるときだったが、現在は、資本主義の終末のとき、しかし、どこにも世直しの旗手がいないときなのだ。だから、年令・金銭に係わらず、アリョーシャととも歩きたくなったのだ。
2024.10.17. 宮崎隆

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