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核兵器も原発もなくそう!


 「日本被団協」がノーベル賞を受賞したニューズはうれしかったが、スマフォの会社が原子力発電を進めるという今日のニューズには驚きもし、あらためて、「核の平和利用」という言葉の曖昧さについて考えこんでしまう。いくら抗議しても核兵器はなくならないし、核の脅威は増すばかりである。核爆弾も、原子力発電所も、結局は同じ禁じ手ではないか。アイゼンハワーの演説を受けて、1955年日本でも「原子力基本法」を受けて、1966年から商業としての発電が始まった。たしか、そのとき、広島も長崎も「平和利用」ならOKの立場をとったのではなかったか。だから、「被団協」の受賞も、何か奥歯にものが挟まっているような感じがあるのだ。
 原発にも、わたしは反対したい。そんなこと言っても、エネルギー不足に、こんなクリーンな発電方法はほかにないのだから、ここは厳しい管理と情報公開の下で行うべきではないか、との声に負けそうではあるが、廃止を訴え続けたい。核爆弾の使用も、発電所のメルトダウンも、地球破滅に直結することは、福島のことを思えば、火を見るより明らかである。「Atoms for peace」なんて矛盾している。生殖細胞への「ゲノム編集」が禁止されているように、いくら技術的にOKであっても、原子力発電はやめるべきだ。「核」に頼らない平和を希求すべきであって、「核」に支えられない社会を建設したい。
 エアコンの効いた部屋でスマフォを使いながら、こんなことを言うのは矛盾しているが、また戦争で経済力を養ってきた歴史を振り返れば、ほとんど絶望的ではあるが、それでも反対の声を上げたい今夜なのだ。(10/16)

 文通相手の男性が、「このごろ、ぜいたくで無駄が多く騒々しい現代社会とあわないと感じることがあり、苦しんでいる。」とメモを添えていた。農本主義的な「晴耕雨読」の生活に、かれは憧れているのだろうが、それでは個人としては良くても、世界的視野に欠け、科学の発展にも目を背けることになりそうでわたしは同調しかねる。みんなで「核」のない社会を建設していきたいのだ。だから、「核」の研究は進めるべきだし、廃炉の技術も養うべきではあるが……。

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