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老後と言わせない暮らし


 7月~9月の三か月を振り返ってみて、「猛暑と高血圧と金欠病の日々」と言えるが、そのわりに豊かに、したたかに、精神的に向上もしたときだったようにも思い、「老後」というイメージから遠い暮らしの毎日である。「猛暑日記」(7/6)に書いて、肯定的に生きるきっかけをつかみ、「酷暑、孤老の叫び」(8/14)で、「身寄りなし、金なし、頼りなし」でも、なに不都合やある、と息巻いたからかもしれない。いや、イダキの講座とコンサートの力は大きい。7/11の講座では、自信喪失を訴えもしたが、それはちゃんと年齢を重ねたからかもしれないし、「年を取れば取るほど豊かになるのだ。」ということ、「今や根本的に生き方を変えるべきとき」と話してくださり、とても元気になった。その前日のコンサートで、「死すら終わりでない」のだから、「新たな希望、生き抜く力」というメッセージが響いていたからかも。また、8/25の講座では、「平常バイヤス」から離れ、対象化しないで限界突破できる!と激励され、なんと「84歳」から大きく変わるという朗報も得た。8/27のコンサートでまたまた「内面の解放」を得た。さらに、9/27の講座では、言葉の力について考えさせられ、「解釈」をやめ、緊張と行動で、「真剣にことに当たれば知恵が沸く」と教えてもらった。おかげで、想定された“9月末破綻”を回避でき、元気に、トシのせいと言わせない暮らしを続けている。
 この間、山歩きは6回、本は、スピノザやフーコーなどの哲学書から芥川賞の小説、そして、『カラマーゾフの兄弟』を再読している。映画もシリア映画を初めて鑑賞し、また勧められて『山鹿灯篭』を見に行った。つくづく、「人はパンのみに生きるものにあらず」と思った。7月、8月は、学校がほとんどないので、それが収入減の原因で困惑したのだが、9月からは二つの学校の教壇に立ち、三つの学校の放課後講習に出向している。そして、わずかな自宅で塾生の面倒も見ている。「寒いほどひとりぽっち」(9/8)という詩をかいたが、それは、これからも「非常識」で「変人」で生きていくぞという宣言でもあった。「おトシのわりにお元気ですね!」とよく言われるが、そういう親切のむこうで、あなたと支え合って生きたいと言いたいのだ。
 今日は、久しぶりに山仲間と六甲を歩いてきた。かれは効率主義、行動経済派の人だが、「声」が明るくて信頼できる人。お互いの山歩きしながら、感覚が良くなっているの気づく。すれ違った人の残り香、横池に飛んでいたアキアカネ。もう終わりかけのハギの花……。(10/6)

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