がんばれ!
がんばれ!
「がんばれと、誰かに言ってほしかったのかもしれない。」
フリーターしながら大学に通う30歳の山代裕介は、物心ついたときからの本好きで、独自の分析力と解釈に自負があるが、大卒と高卒の社会的地位の格差に唖然とし、何とか自力で大学を卒業しようと励む。ところが、どうしても時間が足らず、国文学の課題論文だけが書けないでいる。そこで、学内で有名な「代筆屋」のニシナミユキに依頼しようと接近するが拒否されてしまう。直木賞を取り、ドラマ化もされた森絵都の『風に舞い上がるビニールシート』の一挿話「守護神」の設定。「徒然草」や「伊勢物語」について、精緻な分析メモを持ちながらも、時間がなくて「書けない」という裕介に、さすがのミユキもあきれ、「代筆なんてあなたに必要ないわ。」と言い、必要なのは、他者からの支援の言葉だと励まし、二宮金次郎の携帯ストラップを渡して去っていく。裕介も上記のように述懐する。愚直で不器用だけれど勤勉を重ねてきた自分の力をもっと肯定せよ、と作者はメッセージを送っているのだろう。――他者からの言葉がけの重要さをあらためて思った。そして、自己肯定も。
ただ、いくら分析力やユニークな着想があっても、書けない人はいるものだ。ふつうは書く内容がないから書けないのであって、あるいは、「書く」ことは苦手と思い込んでいるのだろう。さらには、単にずるいだけなのだ。しかし、批判や分析はできるが、自己表現や記述はできないという人もいるのだ。アウトプットが嫌いで、自意識過剰で、情けなく思いながらも、どうしようもないのだろう。それこそ、そういう人はAIに書いてもらって、事を処理すればいい時代なのかもしれない。そういう人には、「がんばれ」の言葉がけも、一層苦痛を増す仕儀かも。多分、「裕介」も「書けない人」で、いくら激励されても無駄かも。
古文には、褒められて怒りだした人もいて、「ほめる」行為は難しい。当の本人がだれに認められたいのか、どの方向から肯定してほしいのかを良く見極める必要はあるのだ。だから、ただ「がんばれ」という声が聞こえてくるくらいが最もいいのかも。わたしにもそういう風がふいいてきてほしい。台風でない優しい秋風が……。(24.8.16.)