「他者感覚」
秋田の知人女性から長い手紙(返書)が届いた。そこに、あなたは「他者感覚の鋭い人」だから、さぞお辛かったことでしょうと、わたしの“筆禍騒動”による嘆きを慰撫してくれていたので、うれしいと同時に戸惑ってしまった。実は、ほんとうに恥ずかしいことながら、わたしは「他者感覚」という言葉を知らなかったからだ。単に、「人を思いやる気持ち」くらいにしかわかっていなかったのだ。ほんとうはもっと深い意味があったのだ。
丸山眞男が使った用語で、「“他人の立場”から、“自分として”他人を理解すること」で、他人を否定するのでなく、他者の立場から自分として理解するように努める感覚ことだそうだ。「私は、あなたの意見に反対だ。しかし、あなたがそれを主張する権利は、命を懸けて守る。」というヴォルテールの言葉が、「他者感覚」の基本らしい。単に自己満足、「仲間内の愉悦」にとどまらず、自分を開示し、弱さや脆さや無知を自覚しつつ、自己内対話を続ける感覚。「間違いの記憶をギュッと持っておくこと」と、鶴見俊輔は述べたとか。要するに、同意を得ようとするのでなく、他者ならこうも捉えるだろうし、否定もするだろうが、それを素直に受け止めつつ、自分の自明性を越えて、先へ向かおうとする気持ちか。ただ、私は、そこまで深い思索の上に立っての言動ではないようにも思うので、なんとも面はゆい。
その知人は、「ぼんやり生きて来て、定命(?)をつつがなく生きることが、これほど厳しいことかと思っております。」と書き添えてあった。金銭や人間関係、あるいは体調の悩みを抱えておられるのかもしれない。ただ、「他者感覚」をお持ちなら、それを越えて、厳しいけれど、味わい深い、真の愛に気づかれるかもしれない。(24.3.19.)