「三分の一の哀しみ」
「三分の一の哀しみ」
(人生、三分の二の哀しみはなんとかなるが、三分の一の哀しみはどうしようもない。)
昨日、京都で「片桐ユズルさんを偲ぶ会」があり、参加し、「追慕」という自作詩を朗読してきた。160人ほどの人が全国から集い、故人の偉業や活動について語り合う。その中で、ユズルさんが愛していたという言葉に、「三分の一の哀しみ」があり、言葉だけでなく体と意識が軽やかでないということを、ハックスレーから学び、それを率先して実践してきたのが「アレキサンダー・テクニック」であると知る。また好きな歌は、「さ迷うよそ人」というゴスペルソングだったと聞いた。
人は思い込みや規範意識の中で固まってしまい苦悩している。だが、その場所を離れ、明るい太陽のもとに身を置き、体も意識も軽やかになれば、どうしようもない「三分の一の哀しみ」は個性になり、お互いの存在をそのまま受け止められ、支え合えるのだ。聞けば、われわれが活動した70年代は、若い人たちの中では「歴史」として語られているとか。でも、まだ終わっていないのだ。終わっていないどころか、ユズルさんが撒いた種は、芽が出、やっと成木になってきたところだと思う。まだまだ活動していきたいものだ。(3/4)