現実を受け容れること
いだき先生、高麗さん、新春は素晴らしいコンサートやさまざまな学びのご機会をいただき、ありがとうございました。2日の夜に東京に帰宅していたため「存在論」講座の参加は叶いませんでしたが、自分の実力のほどがわかる良い機会となりました。
昨年末から現実まざまざと見せつけられるような出来事が続き、精神的にも参っておりました。理想と現実のギャップに耐えきれず、お恥ずかしながら何度も逃げ出したいと感じ、ギリギリのところで踏みとどまっているような状態でした。いだき先生や高麗さんに顔向けできるような心持ちではないと感じ、申し訳がなく、くるしくて仕方がなかったです。新年、やっと高麗さんの瞳を真っ直ぐ見ることが叶い、コンサートではいだき先生に感謝の気持ちで臨むことができました。
現実を受け容れることが、私にとっては課題でありました。あまりに酷く、真っ直ぐには見たくないと目をそらしていました。見ないほどにくるしさは増し、闇に向かいそうになり身体が反応で教えてくれ、戻ってくる。受講生の方々がそれとなくヒントをくださり、優しく引き戻してくださる。その繰り返しでした。
まずは、現実受け容れることから始めます。自分の状態や置かれた状況、人間関係をただそのまま受け容れ、そこで生まれた素直な気持ちで生きていきます。昨日は大変具合が悪く、今日になりやっとあきらめがつきました。もういい、受け容れます、と。先々は不安と感じますが、ただ受け容れることに終始します。
生きていくことは乗り越えることだねと、母と今日、少し話をしました。
母は30代からパニック障害で、いまは70歳くらいです。私が物心ついた頃も調子が良くなく、幼少から母のケアをしてきました。行動範囲は狭く、最寄駅くらいまでしか行けません。でも今日、体調不良の私を送るために少しだけ母の行動範囲が広がり、喜んでおりました。私は、母なら乗り越えていけると信じています。そして、母が乗り越えたいと感じゆっくりでも進んでいこうとするのなら、そのサポートを喜んでします。
母が、昔にがんを患って告知を受けたとき、私が付き添っていました。母が精密検査に行き、仕事の父を待つあいだ、夕方の人の少ない病院でぼーっとテレビのニュースを眺めていました。ほんとうに現実なんだろうか、と考えていたことを覚えています。いつだって現実は残酷なものですが、いまは乗り越えて、母は元気に生きています。母は強いな、と感じます。
私が受講してから、母もまた少し変わりました。前向きに見えます。ありがとうございます。いつの日か、母の行動範囲がもっと広がったら、母も受講できたらと願っています。私が受講できたように、きっと、奇跡なような夢のようなできごともまた、現実なのだと感じます。
被災された方々の多くの方のご無事を、お祈り申し上げます。
いだき先生、高麗さん、いつもありがとうございます。