先ずは自分から
元旦に決めた通り、週末の母の自宅介護が始まりました。私が一緒に食べたいと思ったすき焼きにしようと、野菜好きな母の為に食材を買込み帰りました。普段のお泊まりでは食べられないものをと考えます。案の定、美味しいとよく食べてくれて嬉しいです。不意に母が、お泊まりの朝はパンだと言います。「朝は口の中がパサパサなのに、パンなんか食べられない。お粥の方がいいのに。だから食べない」と言うのです。「そう言えばいいのに」「皆んなは。バクバク食べてる」無表情な母の顔を見て、あきらめてるんだなと思いました。記録を見ると、「歯が痛いと言って、ロールパンを食べなかった」と書かれていました。翌日、訪問看護師の方にそのまま伝えると、「多分お粥の変更は可能。我慢しなくて大丈夫」と言ってくださいました。記録の言葉を見ながら、食べない理由は、本当はどこにあるのかと考える機会を与えられたと思いました。「大晦日の年越しで食べた天ぷら蕎麦が食べたい。美味しかった。家で食べるのが1番のご馳走」初めて「食べたい」という言葉を、母から聞きました。希望の光を見ました。私がいることで、私ができることをやると心に決めました。夜、隣りの部屋にいると「1、2のよいしよ」と声が聞こえてきます。ベッドの中で1人、弱った足の運動をしているのです。脳梗塞で動きづらい手の指の指折り運動もしています。私が知らないところで、母は頑張っているんだなと教えられます。母は倒れて以来、笑わなくなったことが気になっています。と、書きながら私が笑っていないことに気づきました。「何があっても、元気に生きること」先生の声が聞こえてきます。そうでした。母を気にする前に、先ずは自分だと気づく今です。