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先生にお会いするということ


今朝、ホテルの朝食で白味噌のお雑煮を初めていただきながら、母の作るお雑煮を思い浮かべていました。わざわざ鳥屋さんから鶏肉を買って、出汁の効いた母のお雑煮は元旦ならではのご馳走でした。手が痛いと言いながら大根と人参を切って、柿を入れた手作りのなますも大好きでした。母の味は、この世で一番です。もう食べられないのかなと思うと、悲しくなります。いやいや、母は生きているし、何をあきらめているのか。私が教えてもらって作ればいいと考え直した朝です。

久し振りの存在論でした。思い切って参加を決め、決めたらそうなるとこの度も経験しました。最初は三が日のお泊まりは無いと言われ、存在論はあきらめたのです。友達の一言がきっかけで、訪問ヘルパーさんの手配が取れて参加を決めました。その後、先方と色々ありましたが、他の方のお正月のお泊りが急遽入ったことで母も泊まれることになり、安心して京都に迎えた今回、先生にお会いすると決めたら、お会いできるように好転するのです。母の為に我慢するのでなく、私が活きれば母も活きます。母は倒れてから、多くを語らずとも端的に本音を発します。「最初はいいなと思ったけど、どこも同じ」私以上に介護の現実を見ながら、自分の身の置き所を考えています。「喋り過ぎ。ぐちゃぐちゃ言ってないで早く帰れって、心で叫んでた」これには笑いました。反応が鈍いどころか、逆に鋭く見ているし聞いているのに、プロと称する方たちは92歳の母を「お年寄り」の一面で見ている時があります。今の介護の体制の中で、お互いに歩み寄りながらももっと母を通して考えることがあり、伝えていくことがあると気づきます。それは、介護する家族の私がやることであり、母と私の一個人ではないと考えます。先生に今日お会いし、直接存在論をお聞きでき、たくさんの勇気と力をいただき帰ってきました。ありがとうございます。

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