一年の計。- 時間を超える –
あけましておめでとうございます。年末年始の高麗さんのビデオ講演会、元旦のいだきしん先生のコンサート、講演会を経て一年の計を考えました。今年の最初の計画でした。
はじまりの光にはじまったいのちは次の瞬間から様々な存在が集まり混じり合い、最初の外界は母の胎内、生まれ出てから家庭、地域、学校、社会、世界、宇宙と様々な世界から同時に影響を受けてきました。その姿は不自由ないのちそのもので、気づいてはいるものの解決する術がなく悶々として生きていました。そして幸運にも いだきしん先生との出逢いにより全く新しい生き方、「今」を生きる人生がはじまりました。「今」を生きるはじまりは、いだきしん先生のコンサート経験と先生が生きてこられた軌跡を通して「いのちのことば」を学ぶことからはじまりました。しかし自分のことばが過去なので、「今」のつもりが知らぬまに「過去」を追っているという混迷の時間が続きました。長い時間が経ちました・・・。
しかしその「時間」こそ怪しいことに講座を通して、特に「存在論」での いだきしん先生との対話経験で気づかせていただくことで、過去・現在・未来の時間軸がハッキリ壊れました。ところが「時間」の問題は世俗の世界との往来による混合状態が限界と気づきます。私の今現在の「時間の問題」はここに集約されています。先生が「全部やめた」と仰る意味がわかればわかるほどそのことの意味が深くなり、如何に困難なことかもわかってきました。が、あきらめてはいません。マルクスが解明していたであろう資本主義社会による包摂という状態から抜け出すことはできないとしてもその体制の中にいても時間を超えて生きる道は神話を生きることにあると今は理解しています。 先生のコンサートの根底のテーマ、Dvine Ages を本日も経験できることがとても有難いです。本年もよろしくお願い致します。