心に風が吹き続けています!
今朝、足掛け5日ぶりに駅から自宅に向かって歩いていると、もう全く「知らない町」に来ているような感じがするので驚いた。それほど遠くまで旅していたのか、街も人も、過去になり、そして新しく生きている、さらに風が立って、季節まで変わって、新鮮な思いが沸き立ってくるのを感じる。そして、夕方になった今も、まだ「終わり、始まる」を体験している。
15日のコンサートでは、「時間」についての誤解が取れた。いままで勝手に『存在と時間』を「存在、つぎに時間」と思っていた。そうじゃないことは、序章のところからも分かるのに、「いま・ここ」でとらえきれてなかったのだが、メッセージで「通俗的な時間」と「聖なる時間」と教えて下さり、後者の時間にこそ、「存在」があるのだと知る。「反復と成長と創造」が水平に並んでいるのでなく、垂直に降り注ぐようにあることが分かって、うれしかった。「まるで宇宙線のように体に突き刺さってくるのを感じたんです!」と、17日、Oさんに話す。彼女は、「それこそいだきの他とは違う救い」と共感してくれる。
16日、「時空を越えて愛の方向へ」というメッセージが心に染みる。実は、前夜ホテルに帰ってから、不安の悪魔がややってきてなかなか寝付けなかった。恥ずかしいことだが、先の収入の不安が襲ってきて、「早く何とかしなくちゃ破滅してしまうぞ!」と、自分の経済的観念の弱さを責めるのである。しかし、朝になって、「心配していても仕方ない。いまから生き直すだけ」と思い直し、広尾の図書館に行き、民謡研究の資料を集め、7時間くらいいてから銀座に駆け付けたのだった。そしたら、「もう秋!」「この流れに乗らない手はない!」とあったので、今ここで感じている「気持ちよさ、喜び、力強さ、生命感、そして、故郷のような平和な集落」を満喫さえしていればいいのだ。きっとうまくいくだろう!と、ここに参加している自分がうれしくてならなかった。
そして、17日、横浜の墓参を澄まし、Oさんのいる井の頭公園から風のホールまで武蔵野を歩いていく。高円寺で生まれたわたしには、連雀界隈は故郷のように思える。横浜のお寺の住職が何の愛想もなく、両親の墓に参っても何の感慨も起らず、死んだらどうなるんだろうと考えていたわたしに、「生きられる力」を感知しながら生きていけば、死後にも驚く力に出会うだろうというメッセージはありがたかった。天涯孤独の身であるわたしの「さびしさ」は完全に癒された。「五女山で会いましょう!」はスローガンでなくなり、目標になった。
「75歳のわりにはお若く見えます。」親切に横浜まで付き添ってくれた人がそう言って笑う。「いや、その年齢では生きていないのだ。」と言いたかったが、親切なな彼にはどうせ通じないだろうと思って黙っていた。でも、かれがごちそうしてくれた中華街の「点心」は、10歳くらい若返るほどおいしかった。