「新」時代
確実に新時代へと動いていると感じられるアナウンスでした。心臓からの脈動と頭にもリズムがあることに驚きながらも未知の展開に期待が膨らみ耳を傾けました。昨夜も頭の大改造と感じられました。身体も合わせるのではなく自ずとなるよう改造されているようで、座っているだけですが、もの凄いエネルギーに触れたのが後からの脱力感でわかります。頭のリズムが合わないのは、一つの身体で太鼓がそろわずなっているようなものかと想像されます。コンサートからの帰路は、地に足がつき目の前がクリアな感覚があり、自分の隅々まで「全体」な感じでありました。正に太鼓がひとつとなり「自分」がまん丸一個な感じです。また「新」とは、この言語を使うことさえも古いこととと感じられ、別次元の表現を探したい感覚です。やったことのない経験、未知なる挑戦をすることに至ります。ビデオ講演会を拝聴し、コンサート前夜のサロンを振り返ります。自分も思い込みは激しいと自覚します。要因の一つは、(本来)かなり「はっきり」とした性格のはずですが、言えずにいることで思い込みや妄想になるとわかります。ズルい表現ですが、親族にも同じ傾向がある人があり、受け継いだものと捉えると、歴史から足を洗う意味でも止めようと決意します。気づかせて頂けることに感謝致します。
ありがとうございます。
田嶋利江子