KEIKO KOMA Webサロン

9月30日、10月1日を終えて


すごくみんなと仲良くなりたくて、話しかけまくりたいけど、我慢するのです。それは、表面的なことでばかり繋がった気になっても、先生や高麗さんの邪魔をするだけだからです。でも本当は、2日目の講座を行っていただいたあの日から、私は嬉しくて嬉しくて仕方なく、話したくて話したくて仕方有りません。そのやり方や在り方が間違えていたり愚かだったり、浅はかだったりして、何度も厳しい注意やご指摘をいただき、ちゃんと自分を大切にして掘り下げていかないと、話すらしては邪魔になるんだなとわかりました。ここに来たからには、そうなんだなと。いだきは丁寧なところです。言語が、テレビなどの影響もあり標準化されているので、その中で表現しきれないニュアンスや感じなどはどうしてもあります。

ありがたいことに、東北センターの死について、応用コース、存在論と2日間の高麗さんのビデオ講演会に参加させていただきました。いただいた結コーヒーは飢餓に近い内側に一瞬で染み込み、それを味わい尽くすことに精一杯で、なかなかわかりやすい感動的なリアクションに結びつきません。反応の薄い全体の様子に高麗さんは懸念されているようにお見受けしましたが、だからといって高麗さんを喜ばせたいからと「まあ!なんと美味しい!」等の大げさなリアクションしてみても、恐らくそんなことは望まれておらず、ただの馬鹿というか、嫌なお顔をされるかスルーでまたお邪魔になるだけだとわかり、それは自分も傷つくので(笑)、ここは、静かにいただきました。みんな静かなのに、たまにしか講座へ行けない自分が大騒ぎするのもおかしいとも考えました。あんまり素晴らしいと恥ずかしくてちゃんとお礼を言ったりできない感じはすごくあります。そこは変えたいです。本当に嬉しいと、なにもかも恥ずかしくて、逃げたいです。先生はすごい方なのに、人を半人前扱いせず、認めてくださります。その感じが、いだきでした、初めての経験のひとつでした。「え?わたしの意見を聞いてくれるの?」と。カメラも言葉も、「そこまで一流にできなくても、そこそこ社会に受け入れられればそれでいいよ!」という考え方がありますが、先生の姿勢に触れると、少しでも真の自分に近づきあらわす作品や、作品といえないちょっとしたものでも、もっと探求して、感性を良くし、人間を磨き、妥協しないで真に迫りたいという欲求が湧いてきます。天才とか芸術家とか、そういうものに変容したくなります。

これまで生きるために捨てろ捨てろと言われてきたもの、学校に行くためや、仕事に行くためには、捨てないといけなかったもの、それを今度は拾え拾えと、いや、拾えとは誰も言っていないけど、捨ててきた人間の感性や、愛を、見せつけられる場、知らされる場、それがいだきです。イエス様に会える人が弘前にいた、その現実にまず、そんなことが本当にあるのか、あるならどうしてうちのお父さんとお母さんはそんなにすごいことを知らなかったのか、教えてくれなかったのか、こどもの心の部分の私はそう問うてくるのです。大人の心の部分の私はこう答えます。お父さん、お母さんにも、わからないことはあったんだよ。あなたは、わかったんだね。すごいね、やるじゃん。こんどはあなたが、お父さんお母さんに、教えてあげられるね。

戻ってきたら世俗が汚くてびっくりした。ものごとの良いところやきれいなところを見るように、と習ってきたし、それも出来るけど、それだと雑音と真の音の区別のできない人間になってしまう。そんな能力の低い人間は仕事ができず人の役にたてない。人の役にたてないとお金が入ってこない。人はたくさん寄ってくる。いろんな意図で、一人ではさみしいから誰かをつれて、のぶこちゃん、遊びましょ。汚いと思えばシャットダウン、でも近年は、人と関わり関係し人のお役に立つことが仕事と知り、関わる、自分を表現できない、関わりができない。それは、当たり前だった。ものごとの良いところやきれいなところを見るように、としたら、そうでないことを感じている自分は無視することになる。自分を無視したら自分を表現できない。自分を表現できなければ人とちゃんと関われない。当たり前のことだった。でもそんな感性はやはり学校へ行くためや仕事に行くために捨てろ捨てろと捨ててきたので、そりゃあ誰とも関われないし関係もできないのだ。感性を諦めた、暴力的だったり攻撃的だったりする内面でしか関われない。そんな関係しか築けない。恐ろしい教育を受けてきたものです。

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おはようございます。東北センターの講座を終えて書き込みの文章を書いたものの、投稿するか考えて、信用している受講生さんに見ていただいたりもして、(お時間いただいてありがとうございます。以前はこんなお願いできない自分だったのです。?)今朝となりました。昨日のコンサートメッセージの「Prudence」の欠けている、というのは、もちろん俺様のことじゃないかと思いつつ、同じような人も世の中にたくさんいることを想起しました。われわれは大人子供だね、と深呼吸をしました。今朝も結コーヒーをいいただきはじまりです。数日前結コーヒーの粉に蒸らしのお湯を垂らすと、ふわっと膨れてこう言いました。「自分のことももっとゆるしてあげないと。」耳にタコ?ができるようなフレーズなはずが胸に染み込み、心臓の周りの筋肉が緩んでいくように感じました。

いつもありがとうございます。本日も1日宜しくお願い申し上げます。

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栗麹とみかんとコーヒー ココナッツのグラニテ添え
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高麗ギャラリーカフェにて
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