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多賀城コンサートを終え


第一部での豊かに生きられないと言う下りのアナウンスは、正に自分に当てはまると感じられ、克服したいと身を正し聴き入りました。正直、自動的になってしまうある傾向があり、それに陥っているときづけば意識的に穴から這い出でようと思考を転換しますが、なかなかそう簡単ではないことでした。しかしながら、自分のこととして傾聴する内に、東北の壮絶な歴史が展開されているように聴こえておりました。争い、殺戮、悲愴、怒り、歴史の様々な暗澹たる感情が怒涛の如く現れ出、大きな塊となり回っているように感じられました。阿弖流為の側は2回勝利していたにも関わらず、汚い朝廷の策略に落ちてしまったのだと人から伺い、そう理解しております。以前、本当に強い者は恨まないと伺ったと記憶しておりますが、その死は潔かったのでしょうか。本日初めて多賀城跡を訪れました。心地良い風、花々、虫の音が出迎えてくれたように感じられ、今からコンサートが始まるその時を喜びとともに待っているようでもあり、その空は何とも壮大で毘沙門天でも現れそうな力強い雲がかかっておりました。暫くの時間を過ごさせて頂き、同乗させて下った方たちと一緒にこの時を過ごせ、有り難く感じます。城跡を後にし「田村麻呂は3人目の派遣」の話の中、ふと坂上田村麻呂も騙されたのではないかと浮かびました。東北の地で育ち、親しい感覚があっただろう彼を朝廷側が「和解」と称して利用したのではないかと想いました。田村麻呂だから阿弖流為側も「和解」を受入れたのだろうかと全くの憶測ですが、田村麻呂が何度も朝廷へ嘆願書を送ったことからも考えられるのではないかと推測します。第二部では正に「多賀城」のアナウンスに「ご登場!」と感じたのは私だけではないはずです。途中から高句麗的な、またお祭りのような演奏に、楽しく豊かに暮らしていた大らかな人々が集い笑い合っているように想像しました。東北は大多数が高句麗の末裔との説があると聞いておりましたので、大きく頷いている自分でありました。アナウンスでの「強さ」の元は何だろうかとずっと耳を澄まして聴き入りました。「天とひとつ」「リーダーとひとつ」の精神が強さの元なのかと至ります。しかしその後の争いと、打って変わった暮らしに、いつでも「女」が悲しみの歴史を背負うのだとも演奏から感じられ、それが大地から湧き上がっているのではないかと想像されました。歴史的な大事が本日なされた爽快感とその場に身を置けた光栄感とが今あります。駅までの道の見事な月は、コンサートがなされた喜びとお祝いで輝いているようでした。
大変なコンサートの開催、素晴らしい演奏と、この度も心からありがとうございました。
また、この3日間の活動で開いて下さったミーティングと集いと、この場をお借りし恐縮ですが、誠にありがとうございました。

田嶋利江子

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