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奇跡の東北


数ヶ月、下書きをしながら
なかなか言葉にならず
大変遅い書き込みになってしまいました。

7月7日
兼ねてから療養中だった母が
盛岡のコンサート中に息を引き取りました。
母の逝去に際しまして
先生、高麗さん、いだきの皆様、受講生の皆様にお心を寄せて頂き
この場をお借りして御礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。

母は
11月1日という
高句麗伝説の日に生まれて
7月7日に銀河鉄道に乗せていただき

先生、高麗さんのお力をお借りして、数々の奇跡的な現象を起こし
余計な肩の荷をおろしながらどんどん美しくなり大変穏やかに光の中へ還っていった母を見て

本来人の死とは、こうなのかと
人のいのちとは、いだきとは
なんて素晴らしいのだろうと

先生、高麗さんに
筆舌に尽くし難い、深い深い感謝に溢れる毎日です。

現在戸籍上の家族が母しかいない私を
周囲の方々(特に、受講生ではない方々)はさぞ気落ちしているだろうと
心を配ってくれるのですが

とうのわたしは
寂しくない訳では無いのですが
母が亡くなった時から
胸からみぞおちにかけて
真ん中がずっと暖かく

『私の中に母がいる!』



生まれる前は私が母の中にいたのに
母が亡くなった今は
私の中に母がいる

本当に、母とひとつに生きられる
という
不思議な充足感でいっぱいです。


むしろ母が生きていた頃
母が受講する前や私が子供の頃
母が目の前に居るのに通い合うことの無い
砂を噛むような
なんとも言い難い孤独感を感じていました。

10代の頃、母が書いた日記が出てきたので
まだ存命だった母に許可を貰い、読んでみると
そこには母の人生の苦しみを集約させたような文章が書かれていました。

母は生前
生まれて3ヶ月で養子に出された経緯があり
養子に出された先は、裕福ではあったものの
孤独を募らせる環境であったようで

『私は捨てられた』
『どうせひとりだ』
『私にはあんた(娘の私)しかいないのよ』

というのが口癖で

日記を読んだことで
そうか、だからずっと母はたくさんの人に囲まれていても孤独だったのか
と、合点が行きました。

それが
最期のひと月は
いだき受講生のお友達を中心に
1日も途切れることなく
母の元へ通って下さり、お声掛けやお世話をして下さいました。

ある日
母が大好きな受講生の女性が
母を見舞ってくださり
骨が見えなくなってしまうほど浮腫んでしまった母の足を
何時間も何時間もさすりながら
沢山お話をしてくださったのですが
その時に母が

『中心に光があって、その光を見たらみんないた。』
『今まで私はっていうものを探していた。それは血縁だと思っていた。けど違うんだね。』
『娘も??さん(その受講生のお友達)も同じなんだね。血じゃないんだね。』
『私はひとりじゃなかった。みんな一緒に居るんだね…』

と言ったそうです。

その後私にも

『私は体を気遣ってはいたけど、いのちを粗末にしていた。これからは、もっと自分の感情とか、いのちを大切にしなきゃ。』
『私はあたまが古い人間だから、先生の事がわからない時がある。でも大丈夫。高麗さんを通して先生のことがわかると思う。いのちを大切にするっていうのがどういうことなのかまだわからないから、もっといだきに通わなくちゃ。』

と、言っていました。

亡くなるまでのひと月
母と心通い合うときを過ごすことが出来
私の人生において素晴らしい時間となりました。

母が亡くなったあと、高麗さんに
マーブリングの詩書を頂きました。
そこには
『母 共に生きる 真の人生』という
お言葉があり
これからの人生は、やはり母とずっと共にあるのだと
大変嬉しく思います。

12月に受講予定の友人2名に
多賀城コンサートのお声掛けをしたら
行こうとお決めになったところでした。

母と共に参加させていただきます。

先生、高麗さん
ありがとうございます。

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