KEIKO KOMA Webサロン

すべてが今


23日の翌朝に書込をしましたが、すぐに「非公開」としてしまいました。一昨日の「聴く会」から再びアップしようと感じました。
今回南昌荘にて出展をさせて頂き、東北センターでのミーティングを経、また昨日は初めて高麗さんのクロージングの場に傍聴するのでなく、その場に在らせて頂き、貴重な経験をさせて頂きました。誠にありがとう御座います。もう一人の受講生が「合いの手」を入れるように話され「挟み打ち」のようでしたが、見事だと感服しました。9/7の高句麗伝説コンサートに向け自分の中でも何か受け継いだと思われるネガティブ要素が出てきているようですが、まだまだ動員に向け動いて行きたいと感じます。8月23日の高句麗伝説コンサートでは明るく楽しい場に人が集い、人間の生きる場が自然に国とし出来上がっていったことと受け止めました。共感が広がり国と成す、今も昔も人の心は変わらず「人間」の国を求めていると感じ、また今高麗さんがなさっていらっしゃることだと、また自分もその場に参加する喜びが広がります。先に日本の地にて礎を造った「慧慈」から、「高麗」の文字はそのまま「愛」であったと改めてわかりました。一つ一つ光を置いていかれ、今それを辿り本当の歴史が顕れ出ることが出来、重責を担われ大業を成された方だったのだと改めてわかりました。そして好太王様の、敵も味方も傷つくことを望まず、しかしそれは許されない人間の世への絶望的憤りが今まで以上に感じられました。好太王様は恐らく、底しれず深く人を慈しむ心の方であったのではと考えます。好太王様の眼差しは、鋭く相手の底を見抜き、またきっとどの方をも温かく包み込むようであったのではないかと想像します。「一度会ったら共に在りたい人」、ただ強いだけでも、ただ自由であるだけでもない、人間の本質そのままの方であったので、ともにいきたいと感じたのだとわかります。先日のお話しからギターにも種類があると知りました。情熱のフラメンコのそのギターは、本当に「情熱」が飛び出てくると、驚きと感嘆とで拍手をおくりました。またその時は砂漠の女神様の表現でしたが、青年の真赤なバラの花のような血は「情熱」と感じられ、生きることは情熱なのだと、人の血潮が生きる力と言葉が出て参ります。8月23日の高句麗伝説コンサートは歴史が語られるというよりも、今この時を表現をされていると強く感じられてならず、スタートがもう切られているようにも感じます。
ありがとうございました。

田嶋利江子

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東京高麗屋にて
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京都コンサートホールにて
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東京「高麗屋」にて