“主観革命
今日もまた「革命」が起こった! 「データ」や「客観主義」の支配に対しての「革命」が起こったのだ。いや、「革命」というよりも、新しい「知」のパラダイムを得たということか。村上靖彦著『客観性の落とし穴』(ちくまプリマ―新書 2023.6.)を読んだので。
「客観性」という言葉は19世紀初めには新語であった。/17世紀、デカルトは、「主観的」という意味で、「思い描かれた実在」(Realitas objective)と書いていた。/(ボイルらの実験から)実験による客観性が生まれ、次第に目撃者の証言から独立して、「客観的」の真理が成立することになる。/機械による客観性、法則という客観性を経て、「モノ」化する社会が誕生し、行動心理学が成立し、知能指数、偏差値が横行し、統計学が猛威をふるい、経済的数値が優先され、功利主義と優性思想が席巻する現代社会に。その結果、「役に立たない」人は抹消され、障碍者は保護され、実在としての人間存在は見えなくなる。
主観—客観の区別は成立しないことは、現代物理学では証明されたことと聞いてはいたが、また、二分法では真理は語れないとは、思っていたが、ここまで分かりやすく、概念を砕いてくれた著書に感動してしまった。しかも、この「革命」後の生き方の指針として、「語る」ことと、「偶然」をもう一つの座標に据えるということなどの、対処法まで言及しているのもよかった。
わたしは、「出会い」を重ね、「書く」こと、「話すこと」ことを実践することこそ、「言葉の学び」の軸だとし、そういう「国語教育」を展開したいと思っている。もちろん、データや資料を無視するのでなく、一人一人の「実在」を軸に、表現し、共有する実践がやりたいのである。(8/16)