KEIKO KOMA Webサロン

「愛・平和・自由」!


11人ほどのシングアウトだったが、わりと盛り上がり、この集いの成功を物語っていた。1975年10月から始まった「バトコイア神戸」、紛争があって一時中止したが、再開、7年前、音頭取りの小林隆二郎が死んでからも、続けられ、133回目。事務方のS氏は手術後療養中で、シンガー矢谷ともよしさんが中心になって開催される。場所は、神戸六甲の「学生青年センター」の新しいスペースで。参加費500円で、やっと今回は会場費が賄えるとか。

実は、わたしも、1978年から「神戸エンカウンター・スクール」を開設。翌年から、JR六甲道近くで、「表現の教室」を開催、「洗練された手段を持たない人の表現の集い」をやりだしていて、「バトコイア神戸」と競走していた。

あれから45年、依然として、音痴のまま歌い、下手なまま詩を読み続けている。

いつも最初にやることにしていて、この日も、原爆記念日のことに触れ、「実父のケロイド」という短文を読むことから始める。先日の高校生たちとの南アルプス登山のことに触れ、情熱や憧れが希薄になっていることを嘆く詩を二編。そして、「おいで一緒に」という、チリのP・ネルーダの詩に笠木透が曲を付けたフィールド・フォークの歌と、岩手県民謡「外山節」を演唱。「俺と行かぬか、あの山越えて、星の降るようなあのコルへ」と。

いや、みんな上手! 歌に詩に朗読に年季が入っている。初参加の女性の朗読も、戦争は避けたい、原爆は廃棄すべしとの思いが伝わった。山の話から、羊蹄山の麓で暮らしていた時のことを語り、「もうずいぶん遠くまで歩いてきた気がする」と歌うKさんは、技量と詩情と実在感の雄である。姫路から参加の二人のシンガーは、カウンター・カルチャーの質の高さを維持し続け、視点に狂いがないのがいい。Nさんは、その朗読の間合いのうまさに聴き手を引きつける。また、「8月は少し傾いて」というフレーズの「ビスケット」を披露する矢谷さんは、もう間違いなしの音頭取り。そして、最後に登場のHさん。高田渡の再現のような酔った語りで、聴衆を煙に巻きこみながら、「雨の日」の生活実感を歌い上げ、表現することの意義を伝えていた。参加できて良かった!素晴らしいひと時だった。

 

ただその日の夜は、ちょっと憂鬱に。一向に収まらない酷暑の街を歩いたせいか、無力感みたいなものに襲われ、「こんなことをやっていたって、すべては空しいだけではないか」という思いに駆られる。勿論すぐに、「いやいや、ひとり一人が声を挙げ、言葉を発し、歌い続けてこそ、最高の生き方。愛と平和と自由の実際に向けての在り方。」と思うのだが。ライブハウスやコンサートとはまた別様の民衆文化の姿、だから、決してなくなってはいけないと思う。そして、人々が「たつき」とは別様の、「夢中になるもの」「好きなこと」を持ち続けるべきだ。しかるに、この「べき論」になると、急に虚しさが漂ってくるのだ。

ただ、わたしは、「書く」ことも、「歌う」ことも、「歩く」ことも、「登る」ことも、内発的動機でやっていて、「頭」より「心」の領域からの行動だ。やはり、心は意識の二乗強いようだ。(23.8.7.)

小坂井敏明著「神の亡霊」を読んでいて、「愛、平和、自由」をテーマにする
から、不完全燃焼感が残ったのだとわかった。「自由意志を持つ主体」なんて
虚構の産物。「平等こそが異常」なのであって、それを基盤にした「自由」は
虚妄であり、「支配」は社会・人間の同義語だと知る。ただ、「愛」は別。そし
て、それを語る「言葉」も。隆二郎もわたしたちも、フランス革命以降の近代
社会の知恵に染まり過ぎ、虚妄を歌ってきたのかも。「良い集い」だったが、
つぎへ進むときが来たようだ。あの「共存・共生」感は、命の原点だから。
「こんなことしていたって」という徒労感こそ大切だったのだ。(8/8)
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京都コンサートホール 大ホールにて
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大いなる存在と繋がり
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ウラジオストクフィルハーモニーにて