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男に成る、愛。


「何もない状態」を頭で「考える」と虚無という言葉に行き着きます。最近出会った小室直樹さん著の三島由紀夫さんについて書かれた本を読み、その文脈から三島由紀夫さんの死に方を追っていくと虚無にしか行き着かないと考えていました。

たまたま京都の応用コースで、漱石を読むと胃が痛くなるとの先生のお話が出たので、三島さんを読まれた時には先生の肉体はどのような反応をされたのか聞きたくなりました。それは先生が文学を目指されていた時、三島さんの「次」(「先」とおっしゃていたかも知れません。三島さんが成そうとされたことの「先」と理解しています。)を書くしかないと仰っていたことの「次」(「先」)が何を意味されているのかはずっと私がわかりたいテーマでもあったからです。先生のお話で、三島さんは「男だ」ということをお聞きし、大いに納得しました。ドキュメンタリー映像で見た全共闘との議論の時の三島さんの姿勢も学生たちへの礼を尽くした態度と全く対等の立場での議論の進め方、集まった学生たちに敬意を持って語り合う三島さんの姿勢に私も大変好感を持ちました。

講座での先生との対話を経てあらためて市ヶ谷の東部方面総監部に立て篭もり、割腹自殺を図る直前に三島さんが自衛隊員800人を前に檄を飛ばした演説を聞き直しました。男であり、武士でした。が、三島さんの文学に感じる愛と死、妙に透明なエロティシズムは魅惑的ですが、先はないと感じました。先生のお話を聞いて、三島さんは男の死に方を生き切ったと感じますが、先がなく、ふっと少し前のコンサートで「生きる愛」とのメッセージがあったことが浮かび、先生が講座の中の対話を通して教えてくださったことが漸くわかりました。 

その三鷹市公会堂のコンサートメッセージの第一部は「虚空」でした。そして第二部が「生きる愛」 〜 成そうとすることが成し得るということが、自由の意味のひとつでしょう。意識が先行しないで、この自由のもとにある状態が「生きる愛」と云っていいでしょう。 〜 。 
この後に、作りものの社会性を一瞬でもとっぱらうことで愛がわかるとのメッセージが続きます。言葉をあらためて追うと「虚無」と「虚空」、「愛と死」と「生きる愛、」、成そうとすることが成し得る「自由」・・・、やっと応用コースで自分が何をお聞きしたかったもわかり、自分の質問の答えを出せました。そして、講座の話はミトコンドリア、行商へ・・、いつもながら先生の導き、愛に深く感謝致します。先日結工房から届いた「深愛」を山の湧水で淹れいただきながらのひととき。身の裡に沁み入ります。

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三鷹市公会堂 光のホールにて-5
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