余命一ヶ月なら、、
5月末日、朝起きたとき、頭痛がしました。いよいよ頭が限界か、病気か?と思ってると、北朝鮮の衛生ミサイルの発射を知り、反応してたのかと思いました。翌日6月からの東北での活動に、空間が変わる事に希望を感じ落ち着きました。
今朝はレバノンからの動画に感動です。無政府状態でありながら、無から有を、何もない更地から老人施設を創る動きに、何も無い所に、石垣の平城を創り始まった高句麗の精神を重ね、連想しました。人間は「真」に生きる存在と感じ、「真」の動きより生きる希望を感じないと思いました。ありがとうございます。