情
先日ある方にそれは「情」と指摘されたことがあります。自分はそう情けをかけることなどないと考えていたので、寝耳に水が如くに驚きました。「可哀想」とは微塵にも考えたことはなく、人は成るべくしてあり、もしその方と同じ状態で生まれ同じ環境で育ったら自分も同じだと考えるところから自動的に合わせていることを自覚した所です。これが「情」とは考えてもおらず、ならばお互いのためにももう止めようと至りました。やはり、自分は自分でその方が解決すべきことはその方のことと到り、またそういう自分も自律へと向かおうとあります。昨夜はビデオ講演会とサロンと参加をさせて頂き、サロンは何年ぶりかでした。その中で、やはり人間は社会的生物で、何か人が集い共に食したりお茶をしたりの場があればいいと感じられました。自分が自炊して常々は一人なので、会食ではなく周りにでも人がいてその環境で食することは心が安心する気がします。
ありがとうございました。
田嶋利江子