悲しみが愛に変わる日まで
先日の三鷹のコンサートの帰りのバスで花束を持ったウクライナの方とお会いしました。高麗さんの書き込みを拝見して花束にお顔を埋めるようにしてそっと抱きかかえていたのはそういう理由だったのかと胸が痛みました。私には心が泣いてるように見えてならなかったからです。
失われた時を求める気持ち、大切であればあるほど受け止めきれずに彷徨う心、さらに良い場をつくるために動くことによってより昇華されない痛み、共に在り先を創るより道はないと感じています。
そうしていつか悲しみを超えて強くなれるその時まで、悲しみが愛に変わるその時まで共に在るよりありません。
コーヒーを通じて様々な場をつくる、それがこれからやりたいことと改めて再確認しました。気付きをありがどうございました。