生命を生きる
明るい陽の光の空間は亡くなった母がすぐそばにいるような笑顔に、思わずまだ母が生きていたときがすぐそばにあるかのように感じる朝でした。
昨夜の光のホールコンサートではまた身体の歪みを癒していただいているようでした。
恥ずかしながらまた自転車で転び同じ膝を打ったのです。転んだ場所も前回と場所は離れていても近くの細くてコンクリートがでこぼこしている飲食外の裏手のやや上り坂の坂道でした。表通りに抜けるにはここを通った方が早いだろうと、古くて狭いコンクリート道に危険を肌で感じていながらも早く行ける方へと向かってしまい、コンクリートの凸凹にハンドルをとられてしまいました。その膝がコンサートで痛みました。
自責の念などと言っていられません。
2部では美しい音のなかで、生命という言葉を自分はよく使っていても、自分の生命である体を大切にしていないと体から伝わってくるようでした。生命に申し訳ないと感じると同時に大事な体は神共にある生命でした。
アンコールでは美しい春が満開になり、胸が春の香りでいっぱいに膨らむと、姿勢が一気に整い、生きる姿勢が示されました。
夜中は寝汗で目が覚めてしまいましたが、亡き母の明るい笑顔で1日がはじまりました。
どんなときも明るい光があれば前に向かえます。明るい陽の光と共に生きていけることが何にも屈しない光になります。ありがとうございます。