“シングアウト”
“シングアウト”
めぐる春の水光る/川のほとりのネコヤナギ
春を告げる花なのに/心をひらく人はなし
同じ土同じ草/変わりはないのか悲しいぞ
人は去り時は流れ/変わっていくのか悲しいぞ
(詩:笠木透/曲:田口正和 フィールドフォーク)
ライン仲間と言い争って絶交してしまったと悩む塾生(双子姉妹)に、ちょっと一緒に歌わないか、とギターを取り出し、演唱する。絶対歌わないと思っていたが、なんと二人ともついてくるではないか。「無茶、ササル!」とか、「癒されるわ!」とか言いながら、リピートのところだけでなく、夏、秋、冬と歌ってしまう。「秋の彼岸花」がいいとか、「夏の月見草」がいいと言いながら。フォークソングのシングアウトをやってしまった。そして、彼女たちも何か楽器演奏をやってみたいともいう。それよりなにより彼女たちの表情が明るくなり、声が弾んでいるのがうれしかった。
いまは、乃木坂46の楽曲名とか。しかし、わたしには、観客が一緒になって合唱することであり、岡林信康の『友よ』なんかのイメージのシングアウト。一緒に歌うことくらいの意味で、塾生と共に声を出し合う意味だ。これも「言葉」を磨く機会だと思っている。でも、音痴でギター・テクニックも未熟なわたしにできるだろうかと思っていたが、うまくいったのでホッとしている。
昔、「国語」の時間に歌声が聞こえるのはいかがなものかと、理科の先生からクレームがついたのを思い出す。(そのときは、知人のシンガーを招聘したのだが。)「読む・聞く・書く・話す」に「歌う」を入れてなにが悪いのだろうか。生徒と一体になれるのなら、それも大いにありではないか。(1/19)