詩:民謡「南部牛追い歌」
あす、表現の会があるので、歌い、朗読しようと思って
民謡「南部牛追い歌」
田舎なれども南部の国は西も東も金の山 コラサンサエー
今度来るなら持ってきておくれ奥のみ山のなぎの葉を コラサンサエー
ただお座敷唄や盆踊り唄は色恋すぎて
あまり歌いたいとも思わぬのだけれど
日々の仕事と共にあった道中唄はいい
昔、鹿角・沢内・江刈などへの街道を
歌って行く牛方や馬方たちの心意気よ
九州・高千穂の「刈り干し切り唄」にも
同じメロディーが流れている不思議さも
山国に生きる人々の感慨が盛り込まれて
現代に生きる私の古い根っこを揺さぶり
ときどき、口ずさみ、歌いたくなるのだ
幼少のときから折紙付きの「音」だったけれど、音楽の近くには居たかった
さりとて西洋のクラシックやピアノ、日本の声楽や演歌には遠く離れていた
中学のとき、吹奏楽部で、バスを吹いていた、いつもリズムがくるっていた
教員になって、コーラスに誘われたが、いつも困ったような顔をされていた
フォークソングが全盛になって、ギターをやるが、チューニングは狂い放し
自分でも「表現の教室」を主宰するが、みんなうますぎて、恥ずかしかった
和歌より歌謡、そして民謡の言葉と旋律に、郷愁と哀調を感じ、共感したが
民謡酒場には行く気なく、津軽三味線の演奏には付いていけず、乗り切れず
みごとな音頭取りや歌い手に出会いもし、技量や歌唱力には感心するのだが
やはり自分の声で、下手でも構わず、自分の今の気持ちを歌ってみたくなる
この歌、男の自画自賛と、女が甘えて和す風情あり、共感を呼ぶではないか