山の姿を眺めて
四階の自宅から、遠く六甲山系の摩耶山が見える。西に連なる尾根筋の向こうに尖った三角の峰が望め、どう考えても、摩耶山のはず。しかし、実は、その小高い峰は長峰山(688m)で、その左に少し低く連なるのが摩耶山(702m)なのだ。6月、夙川河畔に引っ越してきて以来、樹の名前を知り、山の名前を同定するのが、何か任務のように思えてならない。
手前の山が高く見え、奥の山が遠く見えるのは何の不思議でもない。でも、山は、眺める位置によって、その姿を変えるし、眺める気持ちによって、その表情も変えてしまう。それが楽しい。
香櫨園から阪神電車に乗って、子どもみたいに先頭車両の運転席のすぐ後ろに立って、変わりゆく山を眺めていると、何かドラマの中にいるような気がする。打出、芦屋、深江辺りまでは、本庄山塊が迫っているが、住吉、御影まで来ると、六甲の最高峰から尾根筋が近づいて、あの尖った長峰山が大きく見えだす。そして、大石辺りでは、今まで低く見えていた摩耶山が、急に大きくなり、長峰の尖った峰が消えて、文字通り長い尾根筋になってしまうのだ。そして、もう目の前に、摩耶山が迫り、前山のケーブルの虹の駅の建物まで見える。少し台形上の独特の山容だ。頂上の掬星台からの夜景は、日本の三大夜景の一つとか。ただわたしは、長峰山の魔法のような変貌に息をのんで見つめている。幾度となくその急峻な山道を歩いたこともある。それより、長峰山全体が、わたしのために姿を変え、表情を変え、何かを語り掛けてくれているようにも思えて……。
そのことに変な意味づけは無用だ。しかし、山を同定でき、それをいろんな風に眺められることに、わが人生の豊かさを感じたことだけは確かだ。(12/13)