KEIKO KOMA Webサロン

11月から12月へ


この11月は自分の中では地の底に陥ったような状態でありました。先日のアントレプレナーコース3日目の後に霧が晴れたかのように何かネガティブな因子が消え去った感があります。本当にありがとうございます。前回の電力ボールの前から住居内のある事件にて曇がさし始めておりました。明らかに物品がなくなっています。以前住んでいた部屋でもあったことなので、自分の内にもつもので起こっているのだと考えておりますが、どんどん疑心暗鬼になってしまっておりました。管理事務所へ連絡しようとおもうのですが、以前別な件での対応から、また同じ目に合う恐れがあり、保険会社に連絡とそこから警察にも一応足を運びました。しかし今振り返りますと魔が差したのだと感じます。発覚してすぐに管理事務所へ連絡しようと思い立っていたのに、ふと以前の記憶から思い留まっていました。ここがいけなかったと考え、私の「グズグズ」だと思います。今はシリンダーは自分でも交換出来るし、補助キーというものもあるとわかり、気持ちも楽になりました。勿論その前にやはり連絡はしないといけないのですが。また歯が根本から折れてしまい、行った歯科医院では高額治療を言い渡されてしまい、何か一人で生活をする先行きの不安と恐怖心とが芽生えてもしまいました。これも母の勧めで一昨日神戸の馴染みの歯科院に相談に行き解決したところです。こんなこと諸々とあり、曇りの状態はまた色々と引き寄せていたに違いなく、実際にメンタルは「終わる」ことばかり考えておりました。そして京都での3日間を迎え、明らかに自分でもいつもの感覚でないと感じており、自暴自棄でもなく、このまま「終わる」のだろうとも既に何かの手中にあったような感覚です。3日目の迎賓館へ向う車中、私は後ろ真ん中の席でカーナビが目の前にありました。ドライバーの方が住所を入力されているのが必然的に目に入ります。ハッキリと数字が目の前にあるので覚えられると考えたのはありますが、何か馴染みのある数字の配列で脳裏に焼き付いておりました。後から思い出したのが、子供の頃住んでいた東京での電話番号でした。そして番地のことで緊迫していた時にあっと「知っている」と思い始め、それでも出る幕ではないと思っておりましたが、ドキドキし出し、その内バクバクと大きくなってしまい、これは人に負担をかけてしまうと感じて立ち上がりました。しかし、それはまた別な車の集合場所の番地とわかりました。後からドライバーの方が近くに座っていらしたことに気づき、まず探して聞けば良かったと考えます。そこから人命のかかったことなのに何てことをしたのかと自己嫌悪と申し訳ないでは済まされない気持ちに襲われ、「死んで詫びる」しかないとまで至ってしまい、手の付けようのない状態にまで陥ってしまいました。また、人生かける覚悟で活動をされるスタッフの方々は自分如きの程度ではないとも深く感じ、自分の傲慢さも甚くわかる経験であり、この点では、自分では必然であったと考えております。「生きるのか終わるのかハッキリしろ」とのお言葉は、自覚しながらも狭間でありました。そして演奏がドンドン進み、光に包まれる如くにこの身と心に注がれ、光の世界とひとつとなる音に、この生きようでは人の命をも奪ってしまうこと、人の役に立つよう在る生きる姿勢を糾していくのが本来の生きることと至り、身体を未来へと向かわせて頂きました。しかし終了後、やはりある方々の非難の目を浴びることは否めず、またストンと「狭間」の状態となり、取り返しのつかないことなのだと突発的に「死んで詫びる」と感じてしまい、何とも人間とは脆いものかと自覚します。しかしその反面、私を知る方々が寄り添ってくれるのもわかり、有り難くまた申し訳なく感じ入りました。その後のビデオ講演会を自分のこととして、御身体を張って仰って下さっていると真摯に聴こうと拝聴しました。またビデオ講演会でのお写真には心から安堵しました。そしてアントレプレナーコースの3日目が終了した頃に「狭間」は消えて前述したように解決が見出されて行きました。昨夜のコンサートでの「すがた かたち」では、自分の本来性が漲る体感があり、「そうだった」と思い出す経験をさせて頂き、誠にありがとうございます。また本来の自分のやりたいことも思い出し、そこから高麗さんが実現されようとすることは、わたし達の悲願と至ります。
長く綴ってしまい恐縮です。

田嶋利江子

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三鷹市公会堂 光のホールにて-2
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多賀城市民会館大ホールにて