KEIKO KOMA Webサロン

琵琶湖の畔のコンサート


第一部 「宇宙の中の人」

普段、宇宙を感じることなどあるでしょうか。
人と人との間に広い宇宙を垣間見るようにして感じ
ほんのひと時でも過ごすことがあるでしょうか。
自己の体を、内面を深く深く感じられれば、
一億年などという時は今ここにあることを
ありのままに理解できるでしょう。
人と人との間には、はかり知れないほどの自然の営み、
宇宙の終わりのない生成の繰り返しをみてとれます。
宇宙なくして地球の存在はありません。
当然、人類の発生などあるわけもありません。
人の生命体の中に感じ見ることをおもえば、直ちに了解できることです。

第二部 「過去をさかのぼるほどに未来の展望がひらける」

過去といえば歴史ですが、なかなか事実をありのままにあらわすことができません。
さらに歴史は解釈をともないます。
ここでいう過去は歴史以前から続く人のいのちを通してあらわす壮大な過去です。
人のいのちは尊いのです。

琵琶湖の畔にあるコンサートホールにて、宇宙と表現するよりないエネルギーが降りてきて、この身は宇宙空間に浮遊しているような体感でした。実際は経験したことがありませんが、そのような表現をしたくなる体感でした。見える図形も宇宙と見え、未知なる世界で身が浮遊している感覚は、初めての感覚でしたので、緊張もし、何が起こるのかと身構えたりもし、少しの物音にも神経を研ぎ澄ましていました。目の前にみえる人は船を漕いでいるように寝入っている姿も異様に感じ、恐ろしさまで感じてしまいました。宇宙の中にい続けました。一部の最後に突然胸が苦しくなり、痛みはじめ、胸焼けのような締め付けられるような苦痛に襲われ、次第に首から顔までしびれるほど痛んできました。宇宙の中で生きている人間なのに、この世の規則や枠組みの中で身を潜めるようにし、小さく生きている状態かと感じたり、息を潜め、息を殺し生きていることの苦しみか、またブラックホールと表現したい黒い渦の中に吸い寄せられ、引っ張られるような感じとなったりで、驚き、戸惑い、一部が終わってしまいました。胸を押さえ、ホールを出て、先生にお会いし、胸の苦しみを訴えると、琵琶湖へ行ったことでバチがあたったとの表現に更に驚き、戸惑いました。2部はバチあたりのことを考えていました。子供の頃から天罰を恐れ生きてきました。バチがあたらないように目立たないようにし自分を押さえ込みました。これこそバチあたりと気づきます。物ごとを正しく理解しない状態はバチあたりと気づきます。この社会が基準となり、押さえたり、隠れたりしているのです。「歴史は解釈をともないます。ここでいう過去は歴史以前から続く人のいのちを通してあらわす壮大な過去です。人のいのちは尊いのです」を心に聴かせていただきました。歴史の中で作られた価値観によって、小さくなったり、作ったり、作られたりする自分で生きてきたことはバチあたりとも気づきます。多くに気づく演奏でした。体感は湖の底に沈んでいるようでした。湖の底に沈んだこともありませんので、本当はどうなのかは想像もつきませんがこのような表現になるのは何故かとも考えながら、じっと聴かせていただきました。今日の会場は暗く、私が苦手な空間です。私は閉所恐怖症であり、暗闇の中にいると、気を失いそうになります。子供の頃からブラックホールのような感覚が見えると、気が狂いそうになるのでした。今日は自分が苦手であった感覚が現れるのでした。が、何故苦手かと問うと、未知なる世界故と気づきました。本当は大きく飛翔したり、脱皮できるチャンスの時に恐怖を感じていたと気づいた時には笑いが生まれました。歴史のどこで区切るかで、善も悪も変わってしまったり、勝ち負けも変わります。苦手であることも、人が見えないものが見える故に見えない人からは理解されずに、精神の病を疑われるのも、その時の社会の規範であったり、常識と言われることの範囲で決められることであり、時代が違えば、違う捉え方になるのです。先生にお会いした時にお話いただいたことですが、まわりの人は私を理解できないので、精神病と思われることもありますが、先生はご性格とおっしゃってくださいました。高句麗王は初代の王から天意を受ける資質がありましたので、その資質を受け継いだと初めてわかる時がありました。古代では王の資質も現代ではこのような資質は精神病とされるのかと苦笑しました。歴史以前のひとのいのちと考えますと、2000年前の価値観も、作られたものであり、更に前、更に前と辿れば、どうであったかわかりません。今日のコンサートでの経験は歴史以前の人のいのちを取り戻す経験とわかります。先生が宇宙の生まれる前の更に前の、更に前まで遡り、人間とは何かを探求してくださったので、今、私たちはコンサートで源まで遡れる経験ができるのです。生命は歪みがとれたり、小さな枠に入れられていた状態がとれ、宇宙空間に浮遊する自由な生命となるのです。歴史のどこかで区切った価値観の中に自分をはめこむことは、ひとのいのちではないと気づきました。以前、琵琶湖は太古の湖で、450万年前からあるということを琵琶湖の畔で開催した時の講演会の時にどなたかにお聞きし、大変驚きました。450万前といえば、人類最古の人骨と言われた人骨が450万年前と聞き、発掘現場まで死ぬ思いでたどり着いた経験がありましたので、琵琶湖は人類史を紐解く謎があると感じ、神秘の湖と感じていました。琵琶湖の畔でのコンサートでしたので、湖の底に居るようで、450万前まで引き戻していただいたような気持ちとなり、その時代時代で作られた人間の歪みや型を外していただいたようでした。「過去をさかのぼるほどに、未来の展望がひらける」とのタイトルはこの経験かと感じ、生きてこのような経験ができますのは、先生が宇宙の生まれる3段階前の光が宿っているので、人類史を遡り、地球、宇宙の発生までも遡ってくださったからと頭が垂れます。その時代時代に作られた価値観で人や社会を見ていることもバチあたりと頭を垂れます。宇宙の中に生きる人となり生きていくこれからと生き直しができますチャンスを与えていただき、感謝よりない経験となりました。意味深く、気づくこと多く、これほど大きく変わる経験は他の何をしてもできるようなものではありません。人類史を紐解き、宇宙の生まれる3段階前までたどり着ける先生にお会いできているからこそできる経験です。コンサートにて多くの方々と経験できますことの凄さに身が震えます。来年1月11日は「高句麗伝説」を始めた記念日ですが、来年は琵琶湖ホールで開催させていただきます。湖の底に沈んだような体感がある経験をさせていただき、来年の高句麗伝説へ向かえますこともこれほどもはたらきかけがあるでしょうかと畏れ多く、魂震えます。明日は迎賓館コンサートと続きます。凄い3日間です。ありがとうございます。

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