恵のいのち 永遠の風
第一部 「存在の永遠」
他の何かに依存することなく、それ自体のある何かとして存在する。
自明過ぎて、とはいっても自明であることすら意識せずに、問わないままに過ぎゆきます。
一人一人が確かに存在している、存在していることを問わないのです。
あるいは、問えないのです。人の魂という存在に気がついて、
永遠というふうに感じられた時、どのように自己の存在を理解するのでしょう。
得体の知れない何かを押しつける気は毛頭ございませんが。
自己の内面をとくと感じ満たされてから
あらためて自己を感じ、新たな自己をお感じ下さい。
「存在の永遠」
第二部 「永遠を愛する」
「永遠の愛」という言い方があります。
それが普通でしょう。
永遠を愛することなくして、どのようにして真の愛をわかるのでしょう。
個々人が普通にひらかれた、感じる、ということがあれば、
「永遠を愛する」という言葉にもなりえない
素晴らしく感動的な生命感覚をおぼえるでしょう。
コンサートメッセージのタイトルから魂震える程好きな言葉に喜びいっぱいです。いつも講演会でお話してきましたが、3歳の頃から永遠を求めて生きてきました。「存在の永遠」とタイトルを見ただけで、胸ひらき、歓喜しました。ピアノ演奏をお聴きしている時、今ここに居る、存在するということを感じた時、「存在の永遠」というタイトルの言葉が生まれました。先生がおられ、おおいなる存在ひとつとなり、全てのひとつとなり、表現してくださるこの場こそが永遠と生命でわかり、「存在の永遠」と言葉になったのです。「今」の中に永遠があるとは先生に教えていただいたことです。初めてお会いした後に弘前のご自宅にお手紙を書きました。永遠がわかりたいと書いたことへのお返事は「今の中に永遠がある」と書かれていました。言葉はそのまま受け止めても意味がわからずに、いつか必ずわかる時がくると希望を抱き生き始めたのです。今日は、コンサートホールの一席に座らせていただき、「今」がわかり、存在の永遠を体感しました。そして更に感激する経験をさせていただきました。母の胎内にいるような感覚となり、やがてこの世に誕生しました。自分がこの世に誕生した時の空気、吹く風まで感じられたのです。私の誕生した時のことを知る誰もが、五月晴れの美しい日に誰もが喜び、祝福したと話してくれます。亡き兄は、いだき講座を受講した後に、私に手紙をくれました。誕生の祝いの手紙でした。そして、「高麗恵子誕生物語」を書いて送ってくれたのです。手紙では恥ずかしいけれど、生まれるままに書いてみたので、思い切って投函すると書かれてありました。私の誕生日に「誕生日おめでとう」と書いたら次から次へと言葉が生まれてきたと書かれてありました。そして父母亡き今、私の誕生の日のことを語る人がいなくなったので、知っている自分が表現しておかなければと書いてあったのには驚きました。兄は本ばかりを読んでいたので、小説を書くように書くことが好きでしたので、喜びペンが進んだのだとわかる文面でした。姉からも聞いていましたが、父が大きな手で大きいお肉入りのおにぎりを結んでくれたと書いてありました。とっても美味しかったとは皆が話していました。5月のさわやかな風が吹き、自宅にあった大きな栗の木の下に吹く風がとても気持ち良い日であったようです。が、私はなかなか生まれてこなかったと聞いています。母は、恵子はこの世に出てくるのを嫌がっていたとよく話していました。今までは人から聞いていた誕生の時の話しが今日は、自分でリアルにわかったのです。たくさんのはたらきかけやたくさんの魂が生まれる状況を作ってくれ、私がこの世に誕生した瞬間、光に包まれ、たくさんの魂が喜び、光輝いていました。「恵のいのち」と言葉になりました。この世に存在しはじめた瞬間を吹く風までも思い出し、感動しました。
パイプオルガンの演奏では頭の中が入れ替わったと感じました。神と一体となったのです。神と一体となれば、時間のない永遠の世界で生きていました。はじまりも終わりもない永遠に生きる生命です。昨日の応用コースにて人間の肉体は120歳までは生きていけるとお聞きしましたので、この世でも永遠の世界で生き、体を脱いだら、魂は永遠に存在するのだと感じることができ、とても安堵しました。私は終わりが嫌いです。永遠を求め続けて生きてきましたので、今日のコンサートでは永遠を体感でき、何よりうれしくありがたいです。この世に存在するということは神とつながり在る生命と見え、感謝に震えます。神につながらない生命はないのだと深く感動し、この世に存在する生命は誰の生命も愛おしいと涙しました。先生の演奏は正解を求めることではなく、昨日の講座でお話しいただきました「感じる」のは自分であり、自分で神を感じ、宇宙を感じているのだということがうれしくて楽しくて生命が躍動するのです。先生の表現は万人に通じていきますので、それぞれがあるがままの自分があらわれ、気づき、間違いは正し、真の自分に目覚め、真に出会うのです。時折自分の癖で正解を求めてお聴きしてしまう時、神様に採点されているように感じ、次第に恐怖まで感じ始めてしまうのですが、先生の演奏をお聴きしているとそんな頭の枠もすぐになくなり、感じるままにある時は楽しくてたまらないということも昨日のお話があったので気づくことができました。今日は一部も2部もただただ楽しく、心地よく、永遠の風に吹かれているようでした。永遠にこの風に吹かれ生きていきたいと望みました。
2部は、魂が躍動するばかりでした。未来へ未来へと向かい続け、魂は躍動し、未来に実現する平和な世界を見せていただいているようでした。おおいなる存在が創る新しい世界を見せていただき、これからここで生きると、楽しみにし、「これから」と心の中でつぶやいた瞬間、演奏が終わってしまいました。今日ももう終わってしまったのかと驚きました。これからと言った瞬間に終わりました。仙台でのコンサートの2部でもこれからと言った瞬間終わったので、この続きは自分で生きることで新しい世界を作っていくのだと受け止めました。アンコールの愛の演奏は私には魂の愛の演奏に聴こえ、世界中の魂に届いたと感じ、大変感動しました。明日も琵琶湖の畔で先生のコンサートがありますことがうれしくて楽しみでなりません。これからの続きはどのようでしょうとも想像するだけで心がときめきます。琵琶湖ホールでは、25日にマーブリングをした新作をお披露目させていただきます。早く皆様にご覧いただけますようにと、皆が手分けしアイロンをかけてくださいました。大変楽しみです。
帰宅後には、昨夜に続き、カップに心模様を描きました。神と一体となれた今、どのような絵が描けるかと楽しみに描きました。マグカップとコーヒーカップに描いたのですが、だんだん寒くなるので、心模様カップで温かいコーヒーを召し上がっていただければと想像しながら描きました。きっと楽しいコーヒータイムになると勝手に思い描き、楽しく制作しました。
今日の幻のコグリョカフェでは皆様の「生命の詩」を書かせていただきました。生命に吹く風、生命の内に流れる川、薫る香りを詩に書く時、音まで聴こえ、あるリズムが聴こえます。今までは、今生きている状態を内面の光景を見、詩に書いていましたが、残念ながら皆様、中心からは外れているので、闇に見え、言葉にすることは難しかったり、辛いものがありました。生命の詩は楽しく、生命の奥深くはおおいなる存在とつながり、中心が見えます。いだき講座を受講された方々は、母の胎内に発生した瞬間の光を取り戻しているので、その光が中心にあるのです。世間や世俗に合わせ、塗れて中心を外し、生命曇らせ生きる時は終わったと感じます。先生が、皆、存在表し生きてこそ生きていける時代がきたとおっしゃいましたことがよくわかります。ありがとうございます。