易行楽行
難行苦行しなくては、とても自分は解放されない思い込んでいた。これも学校教育の弊害かもしれないが、勉強努力をしなければ、到底ましな人間になれないぞと言われ続けてきた。自分の好き嫌いやその場の感じだけで判断するのは、身勝手で、倫理的に許されないこととだと意識していた。ところが、わたしに受講を勧めてくれたKさんは、「いだきは易行道だからいいよ!」と言っていた。なるほど、その通りだった。先生のお話を聴き、ピアノに聞き惚れていればよく、コンサートは命の洗濯であった。毎回、再生でき、年令も、学歴も、性別も、出自も関係なく、極楽浄土に遊べた。神のみもとで、若々しく美に酔うことができた。しかし、「こんなことあるはずがない!」と、その奇蹟を信じようとはしなかった。だって、一生懸命に学校の勉強を励み、本も沢山読み、生真面目に働いてきたことが無駄なことになってしまう。嫌だ、これは新手の詐欺にひっかかっているに違いない。少し冷静にならなけばならないぞと。もう手に負えない阿呆ぶりを、昨日の二つの講座で思い知った。
「老衰も自明なことでなくなってきたんだよ。」
この一言で、わたしはいっぺんに解放された。結ぼれていた心は解き放たれ、体全体に若々しい活力が湧きだしてきた。いくら聡明で博識で、良い仕事をしてきた人でも、老衰はいかんともしがたく、気の毒なことだ、人は何のために生きていくのかを、もう一度考えなければ。それに金銭的苦労を繰り返す自分の体たらくにもうんざりして、「たつき」を見失いかけていたのだった。それが雲散霧消した。こうこう聞いたので、こういう結論が導き出された、というような因果論でないところで、分ってしまったのだ。第一、理屈でなく楽しい。よし、この自分を大いに生かして、良い仕事を創造していくぞ。「国語教育の改革」邁進するぞ。「優しさ」人を包んでいくぞ。まさに「易行楽行」だった。有難うございました。