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休日の読書


自分がいかに不勉強であるかを思い知る。じゃあ、そんな本なんか読まなければいいのだ、とは思うものの、それは医師から病気の真実を聴こうとしない臆病な患者だと同じこと。たとえそれが「治療不能」の段階だと知っても、「生きる」ことを断念するわけにもいかないから、不勉強の事実を受け止めて、それでも少しでも前進しよう、とするしかない。もう年だから、と見っともないことを言いたくないし、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と思い返す。

なかなか集注できず、遅々として進まなかったが、やっと『生きる哲学』(若松英輔)を読了する。いま、日本語の動詞について、見直し、活用していきたいと思っていて、「万葉集」の、大和言葉の動詞の輝きに心を奪われているのだが、白川静の本に、『初期万葉論』という本があることを、この本から知り、ぜひ読みたいと思っている。たとえば、これは「古今集」の歌ではあるが、「きみがため春の野に出でて若菜摘む」の「摘む」が、願望の成就を願う「魂ふり」にまつわる行為だったと知って喜ぶ。

こりゃだめだ、「国語」の教師として、まだまだ勉強不足と思うものの、俄然、意欲も湧いたのである。明日は、もう少しましな授業ができ、いい発言ができるかも!(11/23    )

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幻のコグリョカフェ第二弾
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8月10日
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NPO高麗 迎賓館にて