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魂の出会い


日本の歴史のお話を伺い、鹽竈神社のことが心を占めていました。
高句麗に縁とされる2柱の神様とその神様を導いたとされる土着の神様が仲良く祀られている鹽竈神社の由緒はわからないほど古いとお聞きしてきました。
ちょうど相馬での先生のコンサートがあった頃に出会っていた相馬出身の方から教わり、初めて鹽竈神社を訪れた時に、宝物庫の方からご神使は鹿だとお聞きし、並び立つ隠された鹿の像が写る図鑑を指し示されました。相馬出身の方も子供の頃に港に良くロシアの方の姿を見たこと、過去に交易があった記録があることをお聞きし、仙台のもとなる姿を垣間見たように感じました。

コンサート当日の昨日は新幹線もトラブルが発生し、道路も東北道でトラブルがあり、迂回ルートの常磐自動車道を再び通る巡りとなり、仙台コンサートが要であることをひしひしと感じました。そしてまた高句麗に縁の2柱の神様が鎮座している鹿島、香取神宮により近いルートになったこと、魂が一緒に先生のもとへ行くことを求めているのかもしれないと感じました。
突然頭が朦朧とし頭痛が起きて、外を見ると放射線量を示す数値が目に入りました。時が止まったかのような世界、先日のお話にあったレガシーそのままに、動かない世界の固められた空虚さを感じ、やはり魂が光を求めていることを感じました。

仙台のピアノはこれまでになく繊細で細やかな音まで響いてくる感じでした。久しぶりに体を取り戻したような清々しさで、清水で洗われているような体感でした。
最近ではコンサートでなくてもコンサートの時のように体が熱くなったり、体が開いたりするので、仙台への道中も私の目には見えなくても体が急に熱を帯びたり、開かれる体に様々な蠢くもので心臓がつまったような感じで苦しくなることがありました。先生のコンサートを聴きたい魂と一緒なのかもしれないと感じながらの道中でした。

真の人間とは何か、太陽を抱えるように在るのは私なのか他者なのか、それとも神と呼ばれている存在なのか、わからないことだらけではあっても、この美しい繊細な世界の中にあっては問いも言葉も不要だと感じる、いのち満ちる果てない世界、豊穣の海のような愛がありました。魂の出会いをありがとうございました。

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