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存在


は第二部 「叡智」

与えられた生。
与えられるようにしてある生きる地。
与えられた場での一回限りの生を
内面から湧き出づる生きるエネルギーを
謙虚に受けとめ、いかようにでも全うすることです。
我が日本の深遠なる文化に通じます。
例えば茶道。

今日は、念願のウクライナの避難民の方々に先生のコンサートをご経験いただくことが叶いました。ボランテイアの方の紹介でお会いしました24歳の難民支援活動をしている青年が協力をしてくださり、叶いました。皆様、大変リラックスできたと大喜びでお帰りになったことが大変うれしいです。休憩時にも終了時にも先生が何をしてくださっているかをお話しさせていただきました。私はロシアがウクライナに侵攻してからずっと頭が塞がれたように苦しく、このことを考えない日はありませんでした。お一人でも先生のコンサートをご経験いただき、内面の解放が起こり、取り巻く環境の変化が起こることで、ウクライナの状況が変わることに賭けていました。やっと8ヶ月経ち、叶いました。このこともお伝えさせていただきました。心からのお礼をおっしゃっていました。第一部は両隣にウクライナの女性がお座りになっていましたので、より世界を感じながら聴かせていただきました。私の目の前にはペガサスが現れ、天空を駆けています。とても美しい光景です。天空を駆けるペガサスと地を駆ける黒駒が見え、光と闇が見え、東と西が見え、対になっている世界が見えました。はるか彼方の中心には先生の存在が現れています。存在そのもので生きておられる先生が現れると、一人一人の存在が現れます。全ての中心には先生の存在が在ります。先生に出会い、つながり、自然と存在をおおっていた衣を脱いでいく光景が見えます。日本には自分をごまかしたり、とぼけることを狸と言ったり、人を騙すことを狐と言ったりしますが、たぬきや白狐が見え、離れていき、最後は真の自分の光、存在が現れました。一人一人の存在が現れれば戦争は終わると見え、存在とし生きていく人生がはじまりました。休憩時にウクライナの方に自分が経験したことをお話しさせていただきました。

第2部は、自然の中にいるようでした。大好きな日本の自然の風景がそのまま目の前に見え、川が流れる風景、桜が咲き、目の前が明るくひらかれる光景、雪が降り積もる風景、木の葉が舞い降りてくる風景。。。美しい日本の自然の風景を見ながら先生の演奏をお聴きできますことは最高に豊かなひと時です。日本の深淵なる文化とのメッセージを心にお聴きしていました。木の葉が一枚舞い降りてくる様まで風情があり、魂の表現と感じる日本の文化の奥深さを学びたい気持ちが生まれます。比叡山にお茶室を創り、初めて茶の文化がわかりはじめました。狭いお茶室で宇宙まで通じる内面を感じるのです。その瞬間は永遠であり、何もないのです。ピアノが静かに鳴る一音からも宇宙に通じる空間がひらかれ、生命やさしいことに涙しました。やがて、水は生命とひとつとなり、見ている流れる水ではなくなりました。風も生命とひとつでありました。そして先生の存在とひとつである時、時空を超え、永遠に輝く光とし存在していました。存在とひとつであることが生きる意味であり、真の自分があらわると経験しました。常に緊張し生きていた状態は解かれ、心身癒されました。これこそ真のリラックスと感じ、ウクライナの方が本当にリラックスできたと喜んでおられることは私も経験させていただき、よくわかりました。昨日からコンサート後の書き込みを読み、自分が見える図形を言葉にするなら生意気な意識と見えるのですが、何故生意気な表現となるかを考えていました。今日のコンサートを経験させていただき、存在とひとつでなく、見ている故と気づきました。水が生命とひとつである時と水を見ている時では体感も生きている状態もまるで違いました。神話の時代、人間は神とひとつ。他者とひとつ。動植物とひとつであったとお聞きしたことを今日は経験させていただきました。世界中の人がこの経験をしたら、瞬時に世界は平和に成っていくことは当然のこととわかります。人間が人間とし生きることができれば、良い世界となります。アンコールでの愛の手拍子は海を超え、世界中に届いていくような大きな動きを感じ、生命躍動しました。

演奏が終われば、お辞儀をし拍手をするお姿、演奏中は微動だにしないで一心に聴いておられるウクライナの方々には共通するものを感じます。世界中の人と先生のコンサートを経験したいです。ありがとうございます。

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