主体的に生きる
昨夜は、突然の痛みに襲われ、指の先から足の先まで痛み、とても辛くなり、生きていけないと落ちていくような感覚となりました。この状態は明らかに異常状態であると考え、様々に考えました。内面が塞がれてならず、動くことがままならないのです。内面が拓かれることは、前向きに考えていくことができ、動くこともできることを身にしみわかりました。自分の中では、先生の講座でのお話を踏まえ、主体的に自分の体のことを考えていくことがはじまりました。最近の体の痛みを考え、最近処方されていた薬により胸が塞がれていると気づき、今日は電話ではありましたが、医師に薬をやめたいと相談しました。塞がっていた胸が拓き、内面が拓かれました。辛さはなくなり、淡々とやるべきことをやっていくことができ、ほっとしました。つくづく内面の状態が取り巻く環境を作るということが身にしみわかりました。内面が豊かでなければ未来を作っていけません。先生のコンサートにて無限な世界に通じる内面を経験できます時、なんでもできる気概が生まれ、力が湧き出づります。内面がふさがれていると、気力も失われ、動くことができなくなります。たくさんのはたらきかけに満ちる今、はたらきかけを追い払うようではあまりに愚かであると考えますので、常に内面は何もなくと努め、おおいなる存在とつながっていけますようにと願います。
自分が良い経験をすると、同じ場にいない人とも分かち合いたい気持ちが湧いてきます。コンサートでの経験は至福感に満ち、最高に心地良く、愛に満ちています。言葉によって表現でき、経験を分かち合えればいいと望みながら、表現に努めています。最近、このことを考えると涙込み上げる程、うれしく感謝の気持ちがあふれます。やりたいこととよくわかりました。時代の大転換期を生きています。自分の体の内に見える生き物や名前も知らない存在をそのまま受け止める時に、今起こっている体の変化は、今まで人類が経験したこともないことが解明され、解決に向かえるのではないかと考えられるようになりました。先生が常に生きていけるように探求され続けてくださっていますので、私達は何があっても生きていけます。必ず答えはあると考えていけます。ある会話の中で、先生から古代高句麗時代に厳寒の五女山で必死ではたらき、体に支障をきたしながら古代の人は生きていたお話をお聞きし、胸の内は涙にあふれました。先生に出会えた私たちは先祖が生きてきたことさえも受容され、解決へと向かい生きていけるのです。しっかり生きていかねばならないと気持ちが引き締まります。明日は応用コースがございます。そして19日、20日と先生のコンサートがございます。身を置けますことは歴史的な事であると考えます。身を置く経験がどれだけ尊いことかを改めて身にしみ深くわかります。今日もビデオ講演会にてお話しさせていただく中で、とんでもない時を迎えていることを深く感じ、先生の講座、コンサートの場に身をおけますことのとんでもない恵と幸運に深く頭を垂れるのです。皆様と共に経験できますことを願います。ありがとうございます。