おおいなる存在の風 愛
第一部「天生」
生まれつきを問います。
人それぞれの生まれつきは、文字通り人様々で、壮大な言葉にも尽くせない天の計らいとは申せません。あまりにも人それぞれ違い過ぎます。あえて、人の生来、即ち、もとのもとを問い、あらわします。この大事ないのちを、得体の知れない何者かに侵され蹂躙されコントロールされていては、本来の「天生」に目覚めることはないでしょう。
第二部「天生の愛」
愛は謎のままにあるようで、若い時は特に気になり、その割には何ら答を得られず、捨て去ることもできません。自分で考え決断し物事を行なっているようにしていても、内面的に生まれながらにして作られ、蹂躙され、コントロールされていることも知らずにコントロールされている時は、必要に応じて愛ということを表現しなければいけない時は、嘘と作りもの以外にはありません。「愛」は天生に気づき、あらわし、余計なものにいのちが翻弄されていることから救済されるのです。単に、愛、愛、と言っている、あるいは一音も一言も発しない人、あるいは集団、組織などは要注意です。天生のちからを疎外して、どのような未来があるのでしょう。
「天生の愛」
人類史が変わる一大事に際し、何があっても身を置けますようにと向かい、会場に着けた時は、本当にほっとしました。第一部の始まりの音をお聴きした時、武者震いが起こり、見えるがままを受け容れると、白い大蛇、白い龍がいきなり飛び出てきました。天空に通じていました。神の使いであると感じます。神と人間とつなぐ存在であるのかと感じました。そのうち、恐竜のようなものや名前はわかりませんが、見える存在はありました。やっと目覚めたばかりの存在も見えました。ひたすらに演奏を聴かせていただいていました。ある時、生命の奥深くにこの上なくやさしい風が吹きました。おおいなる存在と出会いました。昨日より幼い頃から神と思っていた悪魔的なものに取り憑かれていたことが見えるように気づきが起こり始めていました。蹂躙という表現がメッセージにございましたが、まさに蹂躙されていたのかと気づきはじめました。蹂躙された生命は悲しいと涙こみ上げました。私だけの生命のことではなく、人間全体の生命が悲しいと感じたのです。それでも大いなる存在はずっと共に在ってくださることがありがたくて涙あふれます。「生きていける」と感謝に震えます。
第2部では、生命の内から「わかってください」と乞われているように感じました。自分のことをちゃんとわかってほしい生命の声と受け止めました。東北センターにての講座にてお聞きしました、人間の元、神の正体や、時間のはじまり等々の要のお話を自然と考えながらお聴きしていました。昨日、体から出ていってほしいと願い、先生にお話した時、出ていけといい、出て行くような簡単なことで済むなら、人間がこのような状態になっていないという内容のお話をお聞きしていましたので、出ていくものではないと考えていました。人間にわかってほしいと乞うているように感じてなりませんでした。演奏をお聴きしていると、人間は自分で考えればわかっていけるとわかりはじめました。頭は何者かに蹂躙され、自分で考えていけるようにははたらいていずに、自滅するように使ってきた状態から、自分で考え、生きていけるように働く頭になればいいと感じました。2部でもおおいなる存在の風が吹き、生命抱かれました。愛とわかります。愛を経験すれば、人間は自分で考え、わかっていけるのだと経験し、涙こみ上げます。生命の奥深くにおおいなる存在が共に在ってくださいます。何があっても生きていけると生命でわかります。おおいなる存在は誰の生命にもつながりたくさんのはたらきかけを注いでくださっています。人と比べることもなく、人を羨むことも、差別することもあり得ないのです。ここで生きていければ人間は皆幸せになれると感じ、感動と感謝で胸いっぱいでした。私の内で、善と悪とが分けられ、幼い頃より、神様がいつも見ているので、良い行いとしようと生き、悪いことをすると天罰が下ると本気で考え、恐怖まで抱いていました。善と悪と分かれ、対立までし、時に発狂しそうになる程に自分の内が分裂していく感じが苦しかったです。いつも神様が見ているので自分を抑え込み、悪いことはしないようにと努めるのですが、何が良いことで悪いことかは、自分の内にある神が基準ですので、本当のことはわからない不安がいつもつきまといます。突然爆発したくなり、発狂しそうになるのは子供の頃からあることでしたので、このように生まれついてしまったので仕方がないと受け止めるよりないと考え、運命は解放していただいていますので、本音で生きることで乗り越えていえることが希望で生きてきました。最近は如実に現れるので、恐怖を感じていました。引き裂かれた悲しみは生まれた時から胸の内に刻まれていたと感じて生きてきました。今日は、分断され、引き裂かれた悲しみを抱き、ずっと共に在ってくださるおおいなる存在に出会え、おおいなる存在のこの上なくやさしい風に吹かれ、引き裂かれた悲しみも分断された苦しみも溶けていきました。涙よりありません。愛を経験すれば、人間は自分で気づき、考え、答えを出していけることを経験しました。今までは生まれつきの運命までも先生に引き受けていただき、霊魂は体から出ていっていただきました。生命に負担がかかる状態は、先生に引き受けていただき、自分の体からはなくなることで生命助かり、どのような時も助かってきました。いよいよ、自分で考え、自分の方向を見出し、生きる道を作る時が来ました。自律とはそうでなければ自律とはならないと笑いと共に気づきました。余計なものは先生に預け、頭は蹂躙されていますので、使っていない状態で、自分は何もしないで生きることは人間ではないと気づきます。愛を経験すれば自ずと気づき、考えていけます。愛を表現できる方は世界で先生よりおられず、人類史上においても先生よりおられないということが生命をもってわかりました。人間は愛を経験することが何方にも必要です。先生のコンサートの経験が人間になるには何方様にも必要です。やっと人間は人間となる時を迎えたことに目が覚めました。凄い仕組みであると畏れ入りました。おおいなる存在と出会え、何があっても生きていけるとありがたい気持ちばかりがこみ上げます。今までの頭のはたらきがいかに蹂躙され、コントロールされたものであったかがよくわかりました。恥ずかしい限りです。愛を経験し人間になれ、頭がはたらいていけるのです。今日のコンサートでの経験を世界中の人ができれば、皆人間になれるのです。こんなに悲しい社会ではなくなるのです。蹂躙された頭では、比較し、物事を分け、最後は対立、争いよりなくなるのです。愛を経験すれば、すべての生命はひとつです。おおいなる存在は誰の生命とも共に在ることを真にわかれば、何とも比べることはないのです。すこやかで平穏なおおいなる存在の風が胸の奥深くに吹きに抜けた時の深い感動、感謝、涙の後は愛に満ちる生命としていただきました。世界中の人にご経験いただけますように心の底から願う気持ちは、今までとは違う道を作っていける喜びとなっています。ありがとうございます。