ある発見!
ある発見!
(昨日、気づいて、早く書き留めたかったのだけれど、疲労が優先して、今朝に持ち越した。)
必要あって、斎藤茂吉の『万葉秀歌』を読み返していて、著者の指摘もあったが、そうだ!もっと動詞を駆使すべきなんだ!と気づいたのである。古代日本人の動詞の使い方のみごとさを発見したともいえる。
Ⅰ詠嘆する動詞
「万葉集」の秀歌には、詠嘆の言葉ではないのに、動詞文節だけで、十分に感動や詠嘆を表すもの多くあります。斎藤茂吉も「驚き尊敬せねばならぬ」とほめている。
254ともしびの明石大門に入らむ日や漕ぎわかれなむ家のあたり見ず
255あまざかる鄙の長路ゆ恋ひくれば明石の門より大和島見ゆ 柿本人麻呂
271桜田に鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらしな鶴鳴き渡たる 高市黒人
Ⅱ輝く動詞たち
6 かけて忍びつ/8 いまは漕ぎ出でな/11 茅を刈らさね/20 きみが袖振る
21 恋いめやも/ 30 船待ちかねつ/48 月傾きぬ/49 時は来向かう
70 呼びぞ越ゆなる/76 盾立つらしも/95 安見児得たり/105 わが立ち濡れし
106 ひとり越ゆらむ/133 別れ来ぬれば/141 またかえりみむ/142 椎の葉に盛る
なんと豊かな動詞たちだろう! 今までなんとも思わなかったが、万葉人の口にする動詞たちの輪郭の美しさ、切り取り方の潔さ、迷いなさに驚嘆する。後世、漢字熟語動詞が氾濫し、(「努力する」「勤務するする」など)また外来語を動詞として使い、(「ドライブする」「ライブする」「ディする」など)、さらには、補助動詞の汎用など、(「やっている」「食べている」「静かである」等)どうも動詞の使い方が、クリアでなくなってしまったのに比べ、万葉人の動詞の使い方のみごとさに魅かれてしまうのだ。
これからは、「述語」の充実のためにも、日本語の動詞の豊かさを再認識し、その使用の実際を学ぶことを、わが「国語教育」の基本に置きたいと思った。(2022.9.23.)