応用コースを経て
昨夜の応用コースを誠にありがとうございました。先日、恐らく先生方が京都に移動された日に、ふと道行く人々が、同じ人類として生きる生命体同士で、その物体内から広がる各々の存在エネルギーがじんわりと重なるような感覚となった時がありました。すると、腰を曲げてカートを押す方も、自転車で颯爽と走る方も、お一人おひとりが光のオーラを発しているようで、年やお体の状態も関係なく、光の生命体が行き交う感覚になりました。コンサートで溶け合っている感覚に近く、それを日常で感じられたと考えました。しかし、その時はその時で、また夜にはいつもの感覚になっておりましたが、「あの感覚」は今もスイッチできるのではないかと感じます。そして、昨夜のご質問から「本来の人間」のご指摘に、正に私も同じに使っていたと、境界を作っていたことが明確に感じられ、上記の体感を思い出しました。先日書き込みをさせて頂いたチラシの文言でも同じです。そこで、自分は何を言いたいのかと考え、自分の言葉では、真(ほんとう)の自分、真の「ぬくもり」となります。以前、高麗さんが「生きていてもしようがない」ものが被ってくる旨をお聞きし、自分にも深くある因子で、この更に蔓延する状況下では押し潰されそうになります。そんなときは「私は生きる!」と振り払い切り替えるよう努め、やはり待っているはずの子どもたちに焦点を合わせるようにします。先にこの地に生まれたものとしての、命を受け継いでいく営みと受け止めます。「願」は、この戦争や紛争、迫害が早く消えてほしいと、お話を伺い湧き上がり、自分でも再認識しました。やはり平和な、全ての皆が満ち足りた笑顔で永遠に暮らせる自由な世の中を願っております。「ひかり」よりも速いのが「のぞみ」とは、ネーミングされた方の感性に驚きました。同時に、のぞみは高くしっかりと、本当に「本音」だと今感じられます。
本日のコンサート、よろしくお願い致します。
ありがとうございます。
田嶋利江子