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「テロまた然り」?


山上容疑者の銃弾が、図らずも政治の闇と世の中の問題点を明示したのは間違いない——だから、「テロ」また然り! そういう声が、昨日の表現の集いのとき、聞こえてきた。今では貴重とも言うべき、「左翼系」の人びとの、「市民派」知識人の集い、と言って、10人足らずの歌と詩の朗読。何十年ぶりかに再会した詩人は、「分かりやすくない詩を読む」と言って、「分泌される私」などのフレーズの詩を朗読した。(藤沢周の小説の言葉に近い感じ)かれは、「ロルカ詩祭」を25回も続けているとか。また、「表現の不自由展」を神戸でやろうとしている姫路の人の歌は、「何かを変えられる!」との思いを懸命に訴えていた。さらに、初めて会った女性の詩人は、中原中也論を展開し、「空白の饒舌」というような言葉を使っていた。それらを聴きながら、わたしは、「言葉は酒なのかも」などと考えていた。アルコール濃度の強い美酒は、一瞬心を解放し、高揚させるが、飲みすぎると、その「毒」に染まってしまう。言葉もまた然り。先ず、当の本人が酔ってしまわぬことが大切だ。その点、「少しずつ流した毒が、少しずつ人を殺していく」と歌ったYさんの歌唱力が心地よかった。かれが40代で、一番若い参加者。台湾や沖縄に関心が強い民衆派の歌い手だ。「ニジマスのように」美しい人を愛するラブソングも歌う。――久しぶりに良い会合だった。

結局は、民衆は放棄し、独裁者を倒し、侵略者を追い出すしかないのか。武装し、ゲリラ戦を展開し、必要なら「テロ」も辞すべきではないのか。悪い政治家は暗殺すべきなのか。ちょうど、「安倍元首相が大好きで、自民党に入り、ボランティア活動してきた私は、今回の事件で10日ほど寝込んでしまいました。」という古い教え子からの手紙を読んだばかりだったので、いろいろ考えてしまう。「何であれ人を殺すのは良くない!」なんて大義名分を掲げて済ましていられない。また、「テロまた然り」という声にも同調したくない。「プーチンを殺すしかない!」と同じようなガキの叫びに近く聞こえる。もう少しインテリジェンスがほしい。

昔読んだ、A・ハックスレーの小説『島』では、侵略者の自動小銃の響きが聞こえる中「カルナ。カルナ。気づきなさい」とマイナ鳥が鳴くところで終わる。アウエアネスを島の賢い人たちは、なにも備えない。そのときは、ずいぶん理想論のように思えたが、アウエアネスを高める言葉遣いこそが「救い」なのかもしれない。(8/8)

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