異質な人に出会ってこそ(国語塾日記)
大谷翔平、羽生ゆずる、藤井聡太……、まじめな天才、みんなの憧れの的。 だれもが否定しないし、親近感さえ抱く。 ただ、あの人たちは、自分とは違う。 異才の持ち主、超人なのだから、同日の談で語れる人じゃない。 一ファンとして、元気と快活さを得るだけでいい。
そうやって「遠い存在」にしておける有名人でなく、身近にいる「異能」の持ち主、「異質」の性格、「異様」な行動をする人と、どうかかわっていくか。 平たく言えば、どうも癪に障る人、「もういいよ!」と突き放したくなる人、「分からない」人をどうするか。 縁なき衆生と切り捨てるのは簡単だけれど。 また、自分のやりたいことの邪魔になるだけだから、どうぞお引き取り下さいと断ってしまいたいけれど、なぜか身近にいつもいる別人、異人。 やはり、それは係わり、交流し、ともに成長していくべきなのだと、昨日は思った。
わたしから見れば、Kさんも不思議な魅力の人。 昔から見えない光を感じたり、聞こえない声を分かったりするところがあって、感激や感動も人一倍強く、その場にいる者を巻き込んで輝いている。 けれど、現実の世界ではトラブルも多く、本人も自分の「無能ぶり」を気にして、困惑を生きている。 「自分が実務をやりだすと、何もかもがうまくいかなくなり空中分解してしまう。」と嘆く。 わたしは、こういう人が「存在論」的な人だと決めつけて、これから少し一緒に歩いてみることにした。 少し突っ込んだ話し合いをして、「言葉サロン」を展開しょうと思っている。 幸い、Kさんも同意してくれた。
もう一人、「異次元」の人がいることを、今日再確認した。 もう十数年、通塾してくれているFくんだ。 「広汎性発達障害」とかで、中学のときからの付き合いなのだが、仕事についてからも、辞めないで、やって来ては、一緒に本を読んだり、社会時評をしたりして帰っていくだけ。 かれには、「生きがい」も「やりたいこと」もない。 そこを追求しても、「黙秘」が続くばかりなので、あえて触れない。 この頃は茶菓子まで買ってきてくれる。 そして、「ここに来ることは楽しみ」と言ってくれる。 今日は、原田マハの『生きるぼくら』を読み終えて、うれしそうにしていた。 なにかわたしの方が支えられている気がする。 (22.7.23.)