KEIKO KOMA Webサロン

6月から7月へ


あっという間の3日間です。段々に身体を整え、「高句麗伝説」コンサートを迎えたと感じております。一昨夜は、「愛」は私達は内に「知っている」と理解しました。なぜなら、気づけば、今の人間社会以外は、私たち含め、存在するものは全て「愛」だからと体感させて頂き、故に、愛の状態でないと生きられない存在と実感しました。そして、第二部での「本性」を素手で掴み上げるような深く内臓に轟く表現に、これからの自分の生きる方向性も明確化されてきました。壮大な表現とそのエネルギーにただ身を委ねるしかなく、内からは、呼応するかのように野性的情熱か熱情か、抑えきれないほどに溢れ出てくるのが自分ではどうしようもなく、また内からの湧き上がるエネルギーの潮は自分のものではないようでした。この経験は、日常の暮らしでどう発揮したらいいのかと考えます。
そして、昨夜の「高句麗伝説」は、とてつもないことが解決され、開かれたのではないかと、私も含め、会場中の様子から感じ取られました。渋谷コンサートの後、チェックイン時にちょっとした揉め事があり、自分でも何故やり過ごせないのかと感じてしまいました。部屋に入り、何がこうなってしまったのかと考え、言って問うてやりたかったことが出できました。「女は人間じゃないのか」とこの言葉が湧いてきた時、自分でも驚く位に泣きそうな気持になっていました。社会に対しての叫びです。昨夜の東明王様の存在にそのことが思い出され、東明王様が築いた高句麗は「人間の国」と想われ、今、ここに高句麗の精神が再び顕れ、東明王様の揺るぎないお姿が高句麗の精神そのもので、高句麗人とともに私達に表して下さいます。そして「天女」。前焙煎下さった「天女」の天女とも感じられました。イメージする天空舞う天女とは違い、会場の天井ほどに背の高い、透明なヒッソリとした(あお)白い存在として想像しました。この3日間のコンサートの中での「素晴らしいかな、愛!!」のアナウンスの後の演奏が始まり、自分の中で、真の愛を知るのは怖いという感情が湧き、驚きでありました。つまりは、真の愛の存在の自分を知るのが怖いということと至ります。愛は「動き」と受けとめ、動くことで愛を表現することが怖いのかと結論として至ります。しかし、そんな悠長なことも言っていられません。何でもいいから絶え間なく動こうとあります。
ありがとうございます。

田嶋利江子

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